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6月, 2014の投稿を表示しています

ボランティア

久しぶりに上熊本のM病院に行った。 喫茶室で患者や見舞客に茶果の接待をする ボランティアである。 以前は合志市のホスピスに行っていたが 解散したのでM病院に行くようになった。 毎日、午後2時から4時までがティータイムとして 2時間のボランティアなのだが私は日曜日に 行くことにしている。 以前の合志市でのボランティア仲間がこの班にいて 彼が誘ってくれたからだ。 2時間といってもボランティア活動より スタッフ同士のおしゃべりが多く昨日はテレビで サッカーを観戦して看護師長さんから 「お声が大きいと思います」とお叱りを受けた。 カトリック系の病院なのでお叱りも丁重で荘厳であり 静かに近寄り耳元で低くささやくお叱りであった。 この日、やはり久しぶりに参加した 40 歳代のU氏に 10 年間ボランティアを続けたとして病院から 感謝状がでていた。 仲間同士で読み上げ、記念品を贈呈したのだが 冗談っぽく「一言どうぞ」と言われポツリと 彼が言ったのは 「自分のためにやってきたんだけど・・・」 と言う言葉だった。・・・同感。

フジオ・ナウ

ぶち猫フジオはすこぶる元気である。 すでに所内での宿泊はなく外の4つある倉庫の 左から2番目の倉庫の下で夜を過ごしている。 宿泊用のケージは倉庫の中に仕舞われたままになっている。 雨が降ると応接室裏のツツジの中に作った 「ねぐら」に寝ている。 段ボールをツツジの空洞にあわせて四角い筒にし、 ゴミ用ビニール袋を三重にしてツツジの中に設置してある。 冬用のふかふかマットから夏用のひんやりマットに 替えて本棚の鉄製棚板をツツジの上に斜めにかけ、 雨が入り込まないようにしてある。 苦心作の「ねぐら」なのである。 雨の日の朝、「ねぐら」の近くに車を止めて フジオの様子を 見ると、すぐ気づいて鉄板の中から顔を出す。 ちゃんと分かっているのだ。 雨の日はやはり倉庫の下のじめじめした土より 機密性が高く柔らかいマットの「ねぐら」が良いのだ。 ただ機密性が高いので晴れた日は風が通らず 暑苦しいのだろう、倉庫の下から出てくる。 そんな時はシッポに枯れ葉を付けてくる。 これを猫用ブラシですいてやるのだが朝は時間が 勿体ないのでフジオがエサを食べている時 しっぽをつかんでブラッシングする。 「食事中なのに・・・」 とフジオが言ってもおかまいなしにやっている。 朝は忙しいのだ。

ワールドカップ

  本田が先制点をあげた瞬間、寝そべってテレビを 見ていたのをガバッと起きあがって手をたたいた。 スポーツはあまり興味ないがサッカーの ワールドカップとなるとやはり楽しもうという気になる。 新聞やテレビで、はなばなしく伝えるので果たして 日本はどの位の実力だろうと FIFA 世界ランキング表を 見てみて驚いた。 出場国が 32 カ国というのに 46 位なのだ。 韓国やオーストラリアが強敵と聞いていたが それが 57 位と 62 位。 アジアで強いと言っても世界ではその程度なのだ。 本田や香川がいるからと思っていたが そんな評価しかされていなかったのだ。 コートジボアールがどこにあるかネットで調べていたら 家内がナントカという選手がいて その選手が出てきたら日本はお手上げだと テレビで見たよと言った。 そのなんとかと言う選手が後半途中から出てきた。 ドログバである。 途端に日本の動きが悪くなってあれよあれよと 立て続けに得点され逆転されてしまった。 たった一人のためにこうも流れが変わるものか。 直接ゴールしたわけでもないのに、 これがスーパースターと言われる力なのか。 このドログバ選手はコートジボアール内戦を止めさせ、 貧窮層のための病院を自費で建設した人として 「タイム誌」の「世界で最も影響のある 100 人」に選ばれ、 母国では大統領よりも尊敬されているとのことである。

海外出兵

先週、熊日新聞の「くまにち論壇」に県立大理事長の 五百旗頭真 ( 元防衛大学校長・いおきべまこと ) 先生が 海外出兵について書いておられた。 島国日本が海外へ出兵する時、現地事情への不案内から 繰り返し失敗を招いてきたというものである。 天智天皇時代の白村江の戦い ( 現地の気候状況を無視し2日で二万七千人が全滅 ) 秀吉の朝鮮出兵 ( 武力のみに頼り現地の支持、補給を無視 ) 朝鮮支配・日中戦争 ( 西洋支配からの脱却を 唱えながら 実質は日本支配を目的とし現地の反感を買う ) しかし、すべて反感を買ったというわけではなく 19 世紀末の 義和団の乱における北京での分割統治では 日本区域 ( 指揮官・柴五郎中佐)は西洋各国区域より 収賄も暴行もなく、公平、安全であるとして中国商人が 集まったとされている。 またインドネシア統治の司令官であった 今村均中将(日本の国家思想であった「八紘一宇」が 本来、同一家族同胞主義であるのに、 まったく逆の侵略主義になっていると批判した軍人)は 陸軍本部から生ぬるいと圧力をかけらても 終戦までインドネシアの自立を支援した。 このコラムでは集団的自衛権が発動されたときの 自衛隊については言及されていないが、 国際的な共感は勿論のこと 「国際紛争を武力では解決しない」との 憲法をめぐる国民の共感を得ないと海外出兵は むずかしいし日本を不幸にする。

花のあと

  昼休みの昼食時間は弁当を食べながら Yahoo の 無料動画 Gyao を見るのが楽しみになっている。 なんと言ってもタダなのだからそれなりの B 級ものが 多いけれど時々えっと驚く映画がある。 今なんども見返している映画が東映の藤沢周平原作 「花のあと」である。 寺井家の一人娘以登 ( いと、北川景子 ) は 父から剣の手ほどきを受けた男まさりの使い手であったが 城内の桜の下で出会った若侍に淡い恋心を抱く。 50年経って祖母となった以登が 孫達に この一連の物語を 話して聞かせる。 父を國村隼、その友人を柄本明、初恋の侍が宮尾俊太郎、 不正をはたらく藩の重鎮を市川猿之介、 そして以登の許嫁を甲本雅裕が演じている。 いつもはちょい悪役 ( 例えば「花咲舞が黙ってない」の 敵役真藤本部長の腰巾着、児玉次長とか ) である 甲本が絶妙の演技でにんまりさせてくれる。 父と友人の碁を打ちながらの会話も國村と柄本という 味わいのある二人のそつのない場面になっている。 北川と猿之介の殺陣は意外によかった。 北川景子はかなり殺陣を練習したにちがいない。 対決の時の二人の剣の構え方、抜き方が斬新であった。 ただ和服の歩き方は相当難しいと思われる。 ラストシーンの桜の下を甲本と北川が歩くのだが 北川の歩く姿がかなり意識した歩き方であった。 それでも流れる一青窈の主題歌がせつなく優しく、 「花のあと」を調えてくれた。 決闘シーンと桜の下でのラストシーンは 何度見ても飽きない。 原作とは違った緻密さがあってやはり 中西健二監督の思惑どおりの作品なんだろう。 DVDをネットで注文した。