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宗教

  イスラム国に拉致されていた湯川遥菜さんを 殺害したという動画が配信された。 真偽のほどは分からないが その写真を持つ後藤さんの表情には かなり緊迫した状況を感じる。 こんな殺人を認める宗教は どんな理由があろうとも 邪教だと思う。 その宗教のいう創造主がこの世を作ったとするなら、 そもそも自分以外の宗教を信じている人を この世に送る筈がないではないか。 そして、ああしろこうしろというのなら 直接本人の前に現れて創造主自身が 指示をすべきではないか。 まずは代理人と称する教祖の存在そのものがおかしい。 創造主すなわち神が普遍であり 全能力で あるとするのならば人類が 何十億いようと一人一人に姿をあらわし言葉を かけることが出来るはずだと思う。 代理人がいるからおかしくなってしまう。 信者は神のためにと信じながら 実は代理人のために 命や財産を捨ててしまう。 命や財産を喜捨しなさいと神が言うのではなく 代理人がくれというのである。 もし神がその気ならばそもそも赤ん坊として この世に生まれるとき両親になにがしか 催促があってしかるべきなのである。 もし本当に神がいるとしたら 「この世は勉強の場でなにがあっても 自分で考え自分で行動し 自分で責任を取ることで成長しなさい。 私はちゃんと見ていますよ。 分かるまで何度でも人生をやるのです」 と言っているような気がする。

フジ夫の納棺

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フジ夫を駐車場の観音様の横に納棺した。 スタッフのM氏が穴を掘り その中に フジ夫の骨壷を ビニール袋に包んで 納め御影石と 特注の 20 センチほどの 墓標をのせた。 これで観音様にお参りする度にフジ夫と会うことになる。 猫好きのベテラン女性スタッフが墓標を見ながら 「この子が来たおかげで事務所の空気が 和みましたもんね」と言ってくれた。 そして「すぐ次の猫がきますよ」と続けた。 苦笑したが、 もし次の猫が舞い込んできたら、 おそらく「今度は君か」と抱き上げると思う。 あえて欲しいとは思わないが 野良猫として迷い込んできたら受け入れると思う。 家内からメールで 「牙はどうする?」と言ってきた。 荼毘に付した時、 牙がきれいに残っていたので 骨壷に入れず別にとっていたのだ。 これは自宅の仏壇に納めておくつもりである。

猫侍

  新年早々風邪を引いてしまった。 1 週間体調を壊し寝込んだ。 幸いインフルエンザではなかったが 一応寝室に 閉じこもって家人にうつすのを防いだ。 あの悪寒を思い出すとぞっとする。 しかし熱が下がって退屈になってきた時、 買い換えたばかりの iphon6+ を 布団のなかに抱き込んで散々「猫侍」を見た。 このドラマは 2013 年 10 月地方テレビ局 6 局で 構成した東名阪ネット 6 が製作したもので 「幼獣マメシバ」「ねこタクシ-」など 動物ドラマシリーズの第 10 弾なのだそうだ。 ストーリーは時代劇で、 やくざ同士の争いから 相手側が飼っている白猫を 斬る仕事を 請け負ってしまった浪人、 まだらめ久太郎(北村一輝)の物語である。 斬ろうとした白猫の瞳を見たとたん殺意が 消えてしまった久太郎は庭先に偽のお墓を作り 結局一緒に暮らすことになる。・・・といった物語である。 結構しっかりした時代劇でキャストもそろっていたし 猫好きな人だけでなくだれにも楽しめる ドラマになっている。 悪乗りして映画版も見てしまった。

本年もよろしくお願いします

  元日の朝、洗面所でひげをそりながら、 ふっとなぜ正月に「おめでとう」というのか気になって、 居間でお屠蘇の準備をしている家内に声をかけてみた。 するとドア越しに 「昔の農家では昨年 1 年をどうにか過ごし、 お米も残ったし他の食べ物も正月ぐらい 働かなくても蓄えられたから幸せだね と言って祝うのよ。 昔の人達のことを思わないとね」 と母親がわんぱく小僧に言い聞かせるように言った。 なるほどさすがに農家出身の主婦の弁は ちがうなと 素直な気持ちになった。 なんだかんだ言いながらも平和に 新しい年を 迎えることが出来たのは それだけでも幸せなことなのだ。 フジ夫を荼毘に付したペット霊園の園長さんが 白く焼けた骨を並べながら 「この子は餌の心配をしないで良いだけでも 幸せだったのです。 しかも寝る家もあった。 私達も似たようなものですが」 と言ってくれた言葉を思い出す。 ともあれ 2015 年、平成 27 年が始まった。 毎年あげる新年の目標もまたほとんど達成できず 今年も変わり映えはしないが気持ちだけは 新たにして新年を迎えている。      どうぞ本年も相変わりませずよろしくお願いいたします。