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どうなる日本

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本音がそののまま出たというか、 呆れて物が言えないと言うか、 国民を本当に馬鹿にしている。 しかも熊本一区の 木原稔議員 が責 任者とは。 日本の報道自由度は 2015 年で世界61位なのだ。 これで自由主義国家だと言えるか。 それでも、もっと自由度をなくせ、 反政府発言を封じ込めろというのが 自民党の本音である。 「知らない内に憲法を変えていった ナチスの手口を学んだらどうか」 (日経新聞 2013.7.30 )と言った 麻生副総理発言どおりに国会は進んでいる。 12 年の冬、自民党に票を入れたのは 経済政策だけと言っていい。 不景気の閉塞感を払拭して 貰いたいだけだったのに、 今のうちにやりたいことを やっておこうというスケベ心では きっとしっぺ返しを食らう。 自民党だけだったら良いが 日本国全体がとんでもないことになってしまう。

見えない恋

やっぱり猫が餌を食べている! カラスではなかった。 倉庫の下の餌皿は毎回カラになっていたが、 カラスが食べているのか猫なのか判らなかった。 しかもあれから誰もその姿を見たものはいない。 通りすがりのノラ猫だったのでしょうと 言うスタッフもいた。 そこで一計を案じて餌皿の下に B4 の用紙を湿らせて置いておいた。 すると金曜日の朝、 カラスの足跡ではない、 泥足の肉球マークが4個 はっきりと付いているではないか。 2個は皿の前に大きな肉球。 もう2個は小さな足跡。 それぞれが左右そろって付いている。 スタッフの一人は親子の猫2匹だと言うが、 これは前足を餌皿の前にそろえ、 後ろ足をつま先立てて重心を前に置く、 警戒しながらの食事ポーズであると思う。 いずれにしても猫が 来訪しているのには間違いない。 カラになっているの見つけるたびに 補充しているが、 ここに来れば必ず餌にありつけると 思いこませれば、 いつの日か、 かの猫と出会うだろうと思う。 その時は もう自分の余命が幾ばくかなどの 思いを振り捨てて、 あとはどうなろうと知ったものかと 運命にゆだねるつもりである。 ねえ、のら猫くん。 それでいいよね。

恋の予感

スタッフと飲みながら個人的な話が 出来る機会を作っているが、 先週金曜日の夜、 男子スタッフS氏と飲みに行ったとき 「聞いていますか、昨日のこと」 と切り出してきた。 何事かと思いながらも平静を装い 「どうした?」 とジョッキを置いて聞きにまわったら 「昨日、子猫が現れたんですよ。 野良の子猫です。まだこのくらいの」 と両手で20センチくらいの幅を作った。 「フジ夫と同じブチです。 真ん中の倉庫の下に潜ったので キャットフードを持っていったら 『ファー』と威嚇して・・・ シャメ撮っとけば良かったですね」ときた。 総務から報告はなかった。 ここのところ研修や監査で直接帰宅することが 多かったのだが、 業務外の出来事だからわざわざ 「のらの子猫が来ました」 とメモすることもなかったのだろう。 早速翌日の土曜日、 キャットフードをかつてフジ夫の使っていた ステンレスの皿に入れて、 真ん中の倉庫の下と念のため 西側の地蔵様の横と 2坪畑の梅の木の下に植木鉢の下皿に キャットフードを入れて計3カ所、置いておいた。 ・・・で日曜日、 見てみると餌が3カ所とも空っぽであった。 まったく一粒も残っていない。 あたりを探したが猫の姿は見えない。 以前試みに餌を置いていたのを 下皿ごとカラスに持って行かれたことがあったが、 今度も地蔵様の横に置いていた 下皿がお隣の畠に飛んでいた。 とにかく補充し、 もしかしたらの新しい恋の予感を楽しむことにした。

信じられない!安倍政権

憲法第九条 「日本国民は、正義と秩序を基調とする 国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、 武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、 永久にこれを放棄する。 ②前項の目的を達するため、 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない」 自民党改正案  「日本国民は、正義と秩序を基調とする 国際平和を誠実に希求し、 国権の発動としての戦争 を放棄し 、 武力による威嚇及び武力の行使は、 国際紛争を解決する手段 としては用いない 。 ② 前項の規定は、 自衛権の発動を妨げるものではない 」 自民党の本音は憲法改正により 自衛権の発動を明文化し、 かつ国連が認めている 個別的自衛権と 集団的自衛権の発動による 海外出兵を実施し 、 それを以て戦後、 敗戦国脱却とし美しい国になるとしている。 同じ敗戦国、 イタリアは、憲法11条で 「他国民の自由に対する攻撃の手段および 国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する。」 と一旦戦争放棄を唱え、 続いて「 国家間の平和と正義を保障する体制に 必要ならば、他国と同等の条件のもとで 主権の制限に同意する 。 この目的を持つ国際組織を促進し、支援する」  ( ※ 「主権の制限に同意」とは、 国連や NATO などの決定に 従うという意味と思われる)かくしてイタリアは、 自民党のいう『普通の国』となって、 昨年5月現在で海外に合計約6000人、 そのうちアフガンに半数の3000人を派兵し、 アフガンだけでもこれまで、 従

考えてもみなかった

  熊日新聞の「タウンパケット」欄に子猫譲ります、 だの保健所期限切迫だの 写真入りの記事を見ると胸がきゅんとなる。 先日、男性スタッフM氏が 「この子が話していた飼主募集中の子猫です」 と言ってスマホを見せてくれた。 生後1ヶ月ほどの子猫の兄弟で フジ夫と同じブチ猫である。 すると横合いから総務のI女史が 「今の猫は餌がいいから20年ほど生きます。 所長はあと何年生きますか?」 飲んでたコーヒーを吹き出しそうになった。 考えてもみなかったが言われてみれば、 猫に20年の寿命があったら 自分は88才になっている。 88才で末期の猫を看取り 荼毘に付してあげられるか。 フジ夫の時は夜も明けない未明から、 小水の始末で床をごしごし拭き、 遺体を布で巻き、ペット霊園へ運び、 火葬からお葬式まで、身体を気遣うことなく、 半日動き回って疲れなかった。 あれはフジ夫が白血病で たった2年の生涯だったからなのか。 20年ともなると、飼主も88才。 これでは、むしろ見送られる方であろう。 とすると残されたペットはどうなる。 私が見るよと言ってくれる人がいれば別だが、 自分一人だったらと思った時、 もはや自分には飼主たる資格が なくなったのだと思うべきなのか。