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11月, 2015の投稿を表示しています

チッチだっこ

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  土曜の夕方、末の娘が   チッチに会いたいと 言うので事務所に連れて行った。 駐車場に入ると、 黒い影がフェンスに沿って スルスルっと走ってくる。 「チッチ、いたのね。かわいイイイ」 娘が裏声で叫ぶ。 車から降りると先に降りた娘の足元に、 もつれる様に擦り寄っている。 エサを貰えそうなヤツだったら誰でもいいのか。 臆病なくせに、 ここまではパフォマンスできるのだ。 部屋のなかに入って、 エサをいつもの量やって、 「もっとくれ」 と言い寄って来たとき、 それならばと首根っこつかんで抱き上げてみた。 瞬間ふんわりと腕の中に納まったかと思った時、 「それはない!」 とばかりバタつかれて、放してしまった。 しかし、いつもより手ごたえがあったので 娘にシャメルの準備をさせ、 「せーの」で撮って貰ったのがこのスナップである。 ほんの数秒ではあるが 確かに我が胸にいだかれていたのではある。 迷惑だったろうけど。

チッチなう

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  黒猫チッチは元気である。 足の傷も 赤みが消え、 すっかり治ったようだ。 どこをねぐらにしているか分からな いが、 毎日エサを求めて出勤してくる。 車を止めエンジンを切ると フェンスから 飛び出してくるか 倉庫側からすり寄ってくるか、 どっちにしても遠巻きにしながらも 最後は足下にすり寄ってくる。 先日、家内が吉原橋から上にあがる 工事現場付近で見かけたと言ったが、 その付近にねぐらがあるのだろうか。 もしそうならかなりの距離である。 今、事務所の壁の塗装中であるが、 ちょっとの物音で逃げようとする。 フジ夫の時はこれほどではなかった。 部屋の中で餌を食べるころにはビクビクせず、 むしろ隙があれば居座ろうとして 書棚に潜り込んでいた。 ダッコも拒否せず、のどを鳴らしていた。 いまだにチッチはダッコをさせてくれない。 襟首をつかんで腕の中に 抱えようとするが放せと、 もがく。 「エサは貰っても心は許さない!」 ということなのだ。 首輪の「うちの猫」宣言も片思いなのである。

日常塾

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                                                            先週土曜日、鈴木健二先生の 「一日日常塾」が 1年ぶりに開催された。 約 200 名の塾生が集まったが、          87才の高齢にもかかわらず              午前午後と2時間ずつ ほとんど 立ったままの講義であった。 満身創痍だとご自分で言われるように 前立腺癌、腎臓摘出、頚部動脈瘤、 ヘルニア、胸椎狭窄症、 そして糖尿病と、 ほとんど奇跡に近い来熊であった。 時事問題から家庭の相談事まで、 話しが及び、クラスの代表として 私に「拉致問題」について意見を求められた。 何とか答え、先生も同意見を述べられた。 「もし、来年、生きていたら、           這ってでも来るからね」 かっての名口調とスピード感は少し違うが、 落ち着いた、しっかりした口調で 塾生達に対する優しさが溢れていた。 25 年間、繋がり続いた日常塾、 こんな九州の一地方都市に思いを 置いて貰った事に心から感謝している。

信念

寝がけに読む中村天風師の本には 常に「信念を強く持つ」ことを説いてある。 なるほどと思いながら読んでいたが、 信念と言ってもその中身は人によって違う。 そもそも自分は「信念」という字の意味を 分かっているのかと思い、 漢語林を引いてみた。 すると「正しいと、かたく信じている自分の考え」とあった。 「信」は人+口+辛で辛は針の意味、 転じて刑罰を意味するとある。 すなわち、発言に嘘があれば 罰されてもかまわないと誓う、 まことの意味を表すとあった。 「念」は今+心で、今は含む、 に通じ心の中に含むから、 いつも思うという意味を表すとあった。 この信と念が合体して すると、口 ( くにがまえ ) +止で止は足、 他の国に向かってまっすぐ進撃するの 意味で征の原字だそうだ。 転じて「まっすぐ正しい」となる。 「信念を強く持つ」ということは人生で 起きるいろいろな状況の中で 「これが正しいという自分独自の 判断基準を持ちなさい」ということであろうか。 「強く持つ」だから迷うことなく、 まっすぐであれ」ということだろう。 ただ、もしその基準とすべきものの 持ち合わせがなかったら、と考えた時、 それがこの人生の大きな目的に つながっている思いがした。

チッチなう

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先週金曜日、総務のスタッフが顔をこわばらせて 「チッチ、足を怪我してますよ!」 と報告してきた。           見ると以前から怪我していた 右足の同じ箇所が 再び削られたように赤くなっている。 血は止まっていたが、 もしやワナにかけられて あやうく逃げてきたのかもしれないと思った。 とすると、もはや 「うちの猫宣言」 をしておかないと大変なことになる。 この時とばかり、かねて用意していた 赤と青の首輪を食事に夢中になっている チッチの首につけた。 ところが違和感を感じたのだろう、 しきりに首輪を気にしていたが、 いつもならお代わりをねだるのに さっと外に走り去ってしまった。 そして土曜日の朝、呼べど叫べど、 姿を見せない。ついに夕食にも出てこなかった。 ひとり前期高齢者がお隣の庭に向かって 「チッチッチ!チッチッチ!」 と舌を鳴らす図はむなしい。 あれやこれやと想いをめぐらして日曜日の朝、 やはり姿をみせてくれないかと思っていた時 ニャーと鳴いてドアから入ってきた。 首輪は付いていたが爪でひっかいたのだろう、 所々ほころびていた。 一日姿を見せなかった抗議の跡であったろうが、 この首輪が君を守ってくれるのだよ。