投稿

5月, 2016の投稿を表示しています

チッチ

イメージ
                                                                                                   黒猫チッチが現れて、                      やがて1年になる。 倉庫の下から 「ファー!」と 威嚇して近寄りもしなかったし、 手を出そうもんなら猫パンチどころか、 白い鋭い牙で噛み付かれるに違いなかった。 「絶対、抱き上げてスリスリしてやる」 と誓ったのは 「魔女の宅急便」の 黒猫ジジそっくりの 猫だったからである。 頭は小さく、二つの耳はすっきり切れ長、 しなやかにすっと伸びた手と足。 細く長い尻尾の先っぽは ほんとはそのまま細く終わって欲しかったが、 ちょっと太くなって曲がっていた。 「か、かわいい!」 隣家の庭で日向ぼっこしているチッチを見たとき フジ夫の後継者であることをはっきり認識した。 以来苦節一年、 メスと分かって 避妊手術を受けるため 顧問先からイタチ採りの罠を借りての捕獲、 寒い冬を越すため3ヶ所作ったふかふかのネグラ、 飼育記録はフジ夫の時のファイルを準用しながら、 頭をよぎる 「猫の寿命は 20 年、おれは 20 年たつと何歳になるか」の 声にもめげず、 今やっと毎朝毎夕 「ニャー!」と やってくるチッチの首根っこをつかみ、 抱き上げ、スリスリさせているのである。

ちょっぴり社説

イメージ
土曜日、突然、 東京に住んでいる長女から 電話がかかって来た。 何言っているのかわからない。 やっと泣き声だとわかってあわてて                                                  「どうした!」と叫んだら、 とぎれとぎれに 「○△×※・・・が死んだ」 と聞こえた。 咄嗟に彼女が飼っている うさぎのピッピのことだと思って、 ほっと安心したが下手なことは言えないので 家内に受話器を渡した 。 キッチンでコーヒーを飲みながら 家内の受け答えを聞いていると、 ピッピのお腹が膨れて元気がないので 動物病院に連れて行ったら、 すぐ手術をするからと言われ、 待合室に座ってまもなく 「くわたさん!」と呼ばれて 死亡を告げられたとのことである。 家内の声も震えて 最後はわーわー泣き声に変わっていた。 翌日曜日、 「もっと早く気付いていれば良かったと 相当悔やんでいるから心配する。 やっぱ、ひとりにはできない。行ってきていい?」と家内。 「だって、家に帰って、 ただいまって言う相手が死んだんだから 相当ショックを受けているはずよ」 なるほどそうだ。 自分も「フジ夫」が死んだ時は たかが猫とは思わなかった。 「うさぎ」だろ? とは言えない。

地震後の大輔

イメージ
  本震からもう 1 ヶ月が経った。 大した被害がなかった我が家にしてみれば 過去の出来事になろうとしているが、 いまだ避難を続けている方、 損害を蒙った方々にしてみれば、 まだ地震災害は止んではいない。 わが家の大輔も                                 あの本震のドンという 今まで経験したことのない 衝撃がトラウマになったのか、 余震がユラッときただけで 尻尾を垂れて近くの家族の元にやってくる。 身体のどこかに触っていないと安心できないようだ。 1階のリビングで雑魚寝をしていたときは 誰かの布団の隅で寝ていたが、 2 階の各自の部屋に戻ってからも、                                                           一人ぼっちでは可哀想だし、 いざと言う時、 手元にいないと一緒に避難できないということで、 誰かの部屋で寝ることにしている。 昨夜は私の部屋に引き取ったが、 目が覚めたらなぜか家内の部屋に移っていた。                                                                                                                     しかし、元気は元気で 散歩も今までどおりであるし、 食欲もある。 余震がおさまるまで大輔との添い寝は続く。

被災後の連休

長い連休が終わった。 例年は何日間あるだろうかと楽しみにし、 何をやろうかと思ったことの 半分もやれずに わってしまう連休だが、 今回の連休は違った。 被災の激しかった方にとって 大変な想いを されたことだろうし、 我が家もこれまで経験したことがなかった 車中泊を2日、事務所泊を1日経験した。 その後も、 突然くるドンという余震におびえながら、 昨日まで1階のリビングで雑魚寝を続けた。 幸い、ライフラインもなんとか 連休前には復旧して 温かい味噌汁を呑むことが出来た。 被災の程度が低かったから言える事だろうが、 家族の存在をあらためて感じた。 前震、本震とも子供たちが 私の部屋に飛び込んできた。 心細かったのだろう。しがみついて来た。 事務所泊のときは 家内の弟家族4人と 会議室の机をたたんで雑魚寝をした。 それぞれ持ち寄った ビールやパンやお菓子で夕飯をすまし、 不自由ではあったが、 いままで見せたことのない表情に親近感を覚えた。 さて、連休も終わり、 月曜から通常業務に移るつもりである。 連休後の5月は日数が少ない。 地震後の4月後半の業務も残っている。 気持ちを張って全うするしかない。