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9月, 2018の投稿を表示しています

前期高齢者真っ只中

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先週土曜日、家内の弟と義妹の還暦を祝った。 自分の還暦の時は祝いを受けるたびに ただ緊張するだけで何の感想もなかったが、 65才の時、 65から74才までを前期高齢者として WHO世界保健機構ではYoung Old 「若い老人」 と呼んでいることを知ってまんざらでもなく勇気づけられた。 先週、パキスタン人の方が2人来られて顧問契約を結んだが、 英語が苦手で先方は俺が教えてやるから勉強しろ と言ってきたから マイハートイズセブンティーン、バット、マイボディイズセブンティワン、 と言ったら真面目な顔でうなずいてくれた。 「心は17才だが、身体は71だ」と言ったつもりであった。 東京で暮らしていた若い頃、 電車の中でかなりの年配の男性が 背筋をしゃんとさせて外人と堂々と喋っているのを見て、 カッコいいと思ったが、 まさにあんな老人になりたいものだと思っていた。 何度か英会話を習いに行ったりテープを買ったりしたが、 もうどうにもならない。 でも思い切って2.3か月留学してみようか、70の手習い。

税経新人会 沖縄総会

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税経新人会という本来は国税調査官であったOB税理士が 憲法擁護、納税行政の民主化を謳って集った組織であるが 私のような試験合格者も加入できる会の全国総会が沖縄であった。 全国から263名の参加者があった。 課税権者、国税庁の立場でありながら納税者、 国民主権を考えたときに その矛盾を思う彼らOB税理士の 気概に惹かれてこの会に加わって永い。 総会が終わって那覇市の居酒屋で呑んだとき 偶然沖縄県知事候補玉城デニーさんが入ってこられた。 みんな大騒ぎ。自撮りさせて貰った。 当選を祈る。 なぜ辺野古移設反対を支持するかというと 沖縄県民自身が反対していると思うからである。 沖縄戦において 大田実海軍中将が自決直前に打電した電文に 沖縄県民がいかに日本軍に協力的であったか 本土のために必死に戦ったか事細かに伝え 「かく、沖縄県民戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜りたく」 と結んで終わった。 それがどうだろう。 熊本でもあいつら日本のためにならないとか わがままだとか 沖縄に長い間国防の責任を押しつけておいて、 もうそろそろうちの県にも負担させてくれと言っても良かろう。 それがいやだったら沖縄を非難することは言語道断である。 3日目の最終日、ひめゆりの塔に行った。 泣けて泣けて涙が止まらなかった。 辺野古を遠く離れて見たが 石の一個でも投げてやろうかと思ったが届きもしないのでやめた。

久しぶりの温泉

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久しぶりに、泗水のとよみずの湯に行った。 熊本地震のときには大いに助かった温泉である。 自宅から車で15分ぐらいだろうか、 途中、パグ犬のカシキが元気だったころの散歩コースや 当時よく吠えられた眉毛を書いた柴犬の家など 懐かしい道を通りながらのつかの間の旅行気分だった。 着いて5分もしたら希望の家族風呂が空いた。 外にも湯舟がある部屋で、かすかに硫黄の匂いがする。 お湯は肌に優しいとろっとした感触である。 垣根の向こうから3,4歳ぐらいの女の子の声がする。 両親の声も聞こえる。 あんな時代もあったかなと思いながら体を洗う。 温泉から上がって思い思いに自動販売機から飲み物を出して のどを潤した。 そのあと、丸亀うどんで夕食をとって帰宅した。 たった2時間半ほどではあったが温泉旅行ではあった。