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靖国神社 遊就館

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  先週、東京であった区隊会では 靖国神社の本殿で正式参内して、 そのあと遊就館を見学した。 1時間ほどゆっくり見ることができた。 明治維新の戊辰戦争から昭和20年の 第二次世界大戦終戦まで、 日本の戦争の歴史を嫌というほど見せつけられた。 大儀名分を与えられると 男は命を懸けることにロマンを感じてしまう。 日本だけではなく世界中の男たちがそうだと思う。 現在のウクライナ戦争にしても ロシアの男たちはウクライナ東部のロシア人を 迫害から救わなければならないと奮い立ち、 ウクライナの男たちは自分の国の領土と主権を 侵略国から守ろうと命を懸けて戦う。 戦いが終わってみれば 何であんなひどいことをしたんだろうと 退役者たちは言うけれど、 そうするように訓練されないと戦争はできない。 私は実戦は知らないけれど 陣地防御の演習で掩体壕のなか 敵の戦車を迎え撃つ訓練をしたが、 その戦車群の突進力の迫力には 生きたこごちはまったくなく武器を置いて逃げたくなった。 だから訓練されるのである。 イラク戦争のとき帰国した自衛官の自殺者が 29名と言われるが単に支援しただけでも 精神に異常をきたすのだ。 だから大義名分と訓練が必要となる。 同期の一人は今のおれでも引き金は引けると言ったが、 もしC国が攻め入ったら私も自動小銃ぐらいは持つと思う。 とすれば世界のリーダーは女性がいいのかもしれない。

歩き回った東京

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  毎年1回の陸上自衛隊幹部候補生学校2 候第2区隊の 同窓会が東京であった。 27 名の隊員中7名と当時の区隊長が集合し た。 出席予定は12名であったが 諸事情 で急遽4名がキャンセルとなった。 落ち こぼれであった私なのになぜか懐かしく 、 毎回この日を待ち焦がれている。 今回 は前泊して若い時の思い出の地に行って みた。 60年前の思い出の地である。 新宿 東口から歌舞伎町の広場へ行ってみた。 工事中で広場は入れないように囲んであった。 学生時代ここで一晩過ごそうとしたら 見も知らない若い男性から自分の下宿に泊まらしてくれた。 朝起きたら誰もいなくて一人で帰った。 新宿から早稲田へ行った。 有斐学舎という肥後県人会の学生寮があって 2年間お世話になったが現在は移転している。 神田川のふもとに屋台が毎晩あって 焼きそばが30円おでんのソーセージが30円、 熊本出身のおばさんがやっていた。 お風呂屋さんもなくなっていたし、 ラーメン屋さんもなかった。 有斐学舎はきれいな看護施設になっていた。 高田馬場から西部新宿線で所沢に行った。 ここは自衛隊をやめた後バーテンをした街である。 西口にあった西友はきれいになって残っていた。 細い商店街も前以上に賑わって 若い人がいっぱい楽しんでいた。 バーテンをしていた店は 商店街の左側の2.3軒目パチンコ屋の2階にあったが もうなくパチンコ屋もスロットル屋になっていた。 このあとお茶の水まで行って 4年間お世話になった中央大学の跡地を回って ニコライ堂の鐘を聞き、 東京駅前の宮城へ行き礼拝をし、 スタバでカプチーノとチーズケーキで休んで、 区隊会の集合場所である丸の内北口の改札口にたどり着いた。 予定を全部こなした。 まあ歩いた歩いた。 1年分をまとめて歩いた。

過去

  平成13年のちょっぴり社説を偶然開けたので読んでみた。 当時は5~10行くらいの短い文章だった。 実は最近、初めて炊飯と味噌汁を作ってみたら意外に簡単で、 かつ評判が良かった。 そこで昨夕、マーボ豆腐と海老チリソースに挑戦してみた。 悪戦苦闘の結果、これも意外、結構いけるのである。 もちろんレシピを見ながらだし、 娘たちの好奇心を追い散らしながらである。 家内の弁 「あんなに大騒ぎして作るならコンビニ弁当でも良かったのにね」 材料代返せ。 24年前の文章で写真も何もない、 たった7行でおわっているのだが懐かしさもあって 数回分読んでしまった。 5 4歳の自分がこんなに家庭的で挑戦的であったかなと思うが 過去の自分と対面するのは新鮮で 別人と会っているような気がしてくる。 日経新聞の「私の履歴書」や 熊日新聞の「わたしを語る」は 愛読しているがご本人は過去の自分と対面しながらの連載で 感慨深いものがあるだろうと思う。 若い頃日記をつけていたが、 か さばるのでPDFにしてパソコンに入れていた。 それを誤って消してしまった。 20年が一瞬で消えた。 それ以来日記はつけていない。 とするとこのちょっぴり社説が ささやかな日記ということになるのかもしれない。

税とは

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  税理士会の活動の一つに租税教育と いう部門があって 学校教育の一環と して 税金の重要性を知ってもらう活 動がある。 私も一度やらせて貰うことになっていたが 残念ながらコロナの時期で中止になった 。 先日、租税教育をやるための研修があり、 参考のため参加してみた。 女性税理士が模範授業を見せてくれたが、 その時「税」という字を書いて説明した。 左の禾へんは穀物を意味していて 昔は作物を収めていたんです、 と言ってそこで終わってしまった。 私だったら右のつくりも併せて説明する。 右のつくりは抜くという意味である。 お百姓が一生懸命作った稲を お代官が抜いていくのが税なのだと説明する。 まさにその字のとおり税はしっかり抜かれていく。 国民負担率(租税負担と社会保障負担)は R6年度で45.1%だと財務省は報告している。 1,000円の収入であれば451円が抜かれて 549円しか手元に残らない。 45%も抜かれてよく生活できるなと思うが、 だれも文句を言わず頑張っている。 そして抜かれた451円の使い道は ちゃんと無駄なく国民のためにのみ使われているかという 疑問を誰も持たない。 これは不思議だと思う。 本当の租税教育はその疑問を持ち 税金の使い道がきちんとチェックされ信頼のおける立法、 行政の在り方を考えさせるのが 未来に向けての教育だと思うのだ。