知覧特攻隊基地




一風変わった個性の持ち主が集まった


税理士の会があって先週末、熊本、宮崎、鹿児島から


10人集合して指宿の休暇村で年一度の総会を開いた。



ただ今回、私にとってのメインは


前日の知覧特攻平和会館訪問であり、


鹿屋資料館とともに一度は行ってみたいと思っていた。



知覧は陸軍の特攻基地で薩摩半島の中央高台にあり、


鹿屋は鹿児島湾の反対側、大隅半島の西部にある


海軍の特攻基地であった。



知覧から飛び立った特攻隊は402名、


17才から20代半ばの青少年達であった。



特攻隊の発案者とされる海軍の大西瀧二郎中将は


昭和20年初頭の戦況を見て、


もはや米国に戦力的には太刀打ちできず


このまま無駄に命を落としていくならば必殺の体当たりで


成果を出させてやろうという考えであったという。



2千万人の特攻がなされれば必ず日本は


勝つと言う信念で終戦に反対したが、


入れられず終戦の翌日割腹自殺する。


遺書に、死を以て部下の英霊とその遺族に謝罪し、


また軽挙妄動をつつしみ日本の復興、


発展に尽くすよう諭した内容であったとされる。



当時の自分の命を捨てよと発する者と


それに応じる者の思想の凄みに怖さを感じる。









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