総理談話 

 


安倍総理の戦後70年の談話はテレビで見る限り、



臆するところなく堂々として良かった。




原稿は練りに練られたものであったろうに、



その原稿に頼ることもなく言葉を



一つ一つ選ぶようにスピーチし、



いつもの語尾の滑舌の悪さも目立たなかった。




共感したのは



あの戦争に何ら関わりのない私たちの子や孫、



そしてその先の世代の子供たちに



謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」



と言う言葉である。




戦争責任を負うべき人達はとうの昔に裁かれ、




体験者すらいつかは存在しなくなる。




以前、北京ツアーに行った事がある。



その時の添乗員の王さんが



靖国参拝についていみじくも説明してくれた。




「日本の人達はどんな悪い人でも



死んだら仏様や神様になるが、



中国では悪い人は死んでもずっと悪い人なのです。



だからこだわるのです。考え方の違いがあるのです」



単純にしてすごい説明で



日本人一行の誰もが頷いてしまった。




さて談話は談話として要は安保法案成立の後、



集団的自衛権発動によって、



もし自衛隊員に戦死者が出たとき、



安倍総理個人はどう責任を取るつもりなのか、



旧枢軸国ドイツ、イタリアは集団的自衛権のもと、



アメリカの要請に応じ、アフガン、イラクで



それぞれ50数人の死者と数百人の負傷者を出している。



もし日本もそうなった時、



今回のような総理談話で済ますつもりなのだろうか。











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