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一年分の東京を歩く

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  毎年恒例の、 陸上自衛隊幹部候補生71期区隊のOB会が、 今年も市ヶ谷で開かれた。 全国に散った二十七名のうち、 区隊長を含め十一名が顔をそろえたのである。 「血圧がね」「膝がね」「薬が増えてね」と、 まるで内科の待合室のようである。 もっとも、それを笑って話せる者が集まっているのだから、 やはり皆、元気なのだ。翌朝は靖国神社へ。 何度訪れても、あの空気には自然と背筋が伸びる。 若い頃とは違う重みが胸に落ちてくる。 そこで皆と別れ、 Y氏と二人で千鳥ヶ淵戦没者墓苑まで歩いた。 十五分ほど。 勝手に壮麗なものを想像していたせいか、 実際は墓地というより記念碑という感じで簡素だった。 しかし、飾りのなさがかえって深い。 昭和天皇の御製の石碑が両脇にあった。 今回も前泊し、前日は小石川後楽園を歩き、 夜は創価学会のT氏と会食。 十日の午前には上野の国立博物館へも足を延ばした。 気づけば、この二、三日で一年分くらい歩いた気がする。 それにしても最後の衝撃は熊本空港だった。 二日半で駐車料金五千四百円。 靖国の静謐より、 こちらのほうがよほど現実的な痛みとして胸に残った。

GW

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  ゴールデンウィークがやってくる。 世間は遠出の支度に忙しいが、 こちらは例年どおり 「業務未処理案件一掃作戦」を発令する。 計画は勇ましく、紙の上では完勝である。 もっとも現実は、だいたい判定負け、 よくて引き分けと相場が決まっている。 大阪から長女が帰ってくる。 仕事に疲れた顔も、 定番の焼肉屋に入ると指揮官の顔に変わる。 席順、注文、焼きの進行――すべて長女の差配である。 私はといえば、 たれ皿に載せられた肉を 淡々と口に運ぶ係だ。 焼き加減も部位も任せきり、 それでも皿は過不足なく満たされる。 見事な分業である。 子どもたちが幼かった頃、 行き先は長崎や宮崎あたりの近場だった。 車内ではささいなことで喧嘩が起き、 家内が叱咤激励の号令をかける。 目的地に着く頃には誰もが少し不機嫌で、 それでも宿に入ればいつの間にか笑っていた。 あの騒がしさこそが、 旅の本体だったのかもしれない。 そんな話をすると、 「過去の栄光は捨てよ」と一蹴される。 なるほど、家庭内の歴史は容赦がない。 さて今年も似たような連休になるのだろう。 私は仕事の項目を書き出しながら、 その半分が終われば上出来と見積もっている。 たれ皿に載る肉のように、 物事は何かの差配でほどよく回る。 そう思えば、この連休も悪くはないか。

久しぶりのジョン・ウェイン

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  ユーチューブでジョン・ウェイン の『ホンドー』を観た。 1953年製 作というから、もう七十年以上も 前の映画である。 筋立ては実に単 純で、 登場人物の心の動きも今ど きの映画のように 入り組んではい ない。 だが、だからこそ胸にすっと入ってくるものがある。 ジョン・ウェイン演じるホンドーは、 まさにヤンキー魂そのものだ。 飾らず、ぶっきらぼうで、理屈をこねない。 けれど筋は通す。 敵であるアパッチとの約束さえ守るところに、 この男の人間としての大きさがある。 だからこそ周囲から一目置かれ、尊敬されるのだろう。 損得よりも、まず自分の信じる筋を大事にする。 その単純朴訥な生き方が、 いまの時代にはかえってまぶしく映る。 何でも説明が求められ、 言葉を尽くしてもなお疑われる世の中で、 ああいう背中で語る男は貴重だ。 独 特の面倒くさそうな歩き方も懐かしかった。 歩いているだけで、その人物の覚悟や風格が伝わってくる。 昔の映画スターとは、 こういう存在感を持つ人のことを言うのだろう。 ただ飼い犬のサムは生かしておいてほしかった。 そしたら星4つ半。

我が家の二匹

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  ふと見上げると、キャットタワ ーの上で、 おはぎはまるで溶け たように体を預けている。 白と 黒のぶち模様がやわらかく広が り、 こちらの気配に気づくと、 ゆっくり顔を寄せてくる。 ほほずりをすると、 同じように頬を押し返してくるその仕草が、 なんとも愛おしい。 ひとなつこいというより、 人と暮らすことを心得ているような落ち着きだ。 一方で、きびだんごは少し距離を保つ。 近づくと、すっと立ち上がり、 何事もなかったかのように向こうへ行く。 その身のこなしは軽やかで、どこか気高い。 以前はお互いを気にしていた二匹も、 最近は同じ空間にいても干渉しなくなった。 それぞれの場所で、それぞれの時間を過ごしている。 家内は言う。 「あなたが連れ込んだのはきびだんご。 わたしがまねき入れたのはおはぎ。 おはぎのほっぺに触れないで。加齢臭がつくから。」 と。 冗談ではなく本気で言う。 もはや胸に刺さることもない。 おはぎが寄せてくるその頬のぬくもりは、 心の痛みをぬぐい取ってくれるのだ。

さんさんの湯

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  先週に続き、この土日も 掃除に没頭した。 トイレ の換気扇と窓の枠を外し て水洗いし、 タイルを磨 き、 机を動かした後のこ びりついた汚れを一つず つ削り取る。 複雑に絡まった配線も整理し、 見た目も気持ちもすっきりした。 道具はミスターマックスで揃えたが、 こういう準備の時間も案外楽しいものだ。 とはいえ、腰と背中への負担は無視できない。 今回は高めのとよみずの湯を見送り、 菊陽町営のサンサンの湯へ向かった。 町内在住七十歳以上350円という気軽さもありがたい。 身分証明のチェックもなく太っ腹だ。 洗い場は広く、隣の湯がかからない工夫がされており、 シャワーの使い勝手もよい。 サウナでたっぷり汗を流し、 電気湯に身を委ねると足から腰、背中へと 強烈な刺激がきた。 おかげで痛みも和らぎ、体が軽くなった。 久しぶりの入浴だったが、安くて清潔、 受付の方もやさしく、鍵の使い方まで丁寧に教えてくれた。 こうした何気ない心配りに触れると、また来ようと思う。 掃除の疲れもどこかへ消え、 達成感の心地よさを改めて感じた週末だった。 今度は自分の机の中と本棚、 そしてパソコンのファイルの整理があるんだよね。

久しぶりの汗

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  昨日、ナーセリーで買っておいた バーベナと チュニアを鉢に植え替 えた。 土に触れる感触はやはりい い。 事務所の周りの草取りも始め、 ついでにトイレ掃除も久しぶりに 手を入れた。 先日、ベテランの女 性職員とブリーフィングした際、 「以前は私達に掃除を徹底するよう言っていたのに、 最近は若い人に言われなくなりましたね」 と言われた言葉が、どこか頭に残っていたのだと思う。 誰かに任せるだけでなく、 自分の手で整えることの大切さを、 少し忘れていたのかもしれない。 草取りの途中、すみれだけは残しておいた。 他の雑草から見れば不公平だと文句を言われそうだが、 そこはごめんなさいということで許してもらおう。 久しぶりにしっかり汗をかき、 終わってからロッカーを開けると、 これまた久しぶりの替えのシャツが目に入った。 袖を通すと、少しだけ気持ちが引き締まる。 体を動かし、環境を整えることは、 結局自分自身を整えることなのだと、 静かに感じた一日だった。

補助金の功罪

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  新規の顧問先から 「今の税理 士は補助金をやってくれない んですよ」 と相談を受けるこ とがある。 補助金は人気だ。 う まく採択されれば資金が入り、 設備も更新できる。 いわば“経営の追い風”であり、 できれば何度でも受けたい、というのが本音だろう。 当事務所でも申請支援は行っているが、 そこでいつも感じるのは 「それで本当に体質は変わるのか」という点だ。 補助金は確かに効く。 だが、それは例えるなら栄養ドリンクのようなもの。 飲めば元気にはなるが、 それだけで体が強くなるわけではない。 補助金ありきの投資が続くと、 「次も何かないか」と探す癖がつく。 気づけば補助金探しが本業のようになり、 肝心の営業や商品力の強化が後回しになることもある。 それでは本末転倒だ。 重要なのは、補助金を“目的”にしないこと。 投資の後にどう稼ぐか、どう回すか、 その設計こそが経営の本質である。 補助金はスタートの号砲は鳴らしてくれるが、 ゴールテープは用意してくれない。 結局、本当の勝負は補助事業が終わった後に始まる。 静かに日常へ戻ったとき、自力で走れるかどうか。 そこに企業の真価が問われている。