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自衛隊OB会

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  この土日、陸上自衛隊の区隊OB 会があった。 毎年各地の出身者が 幹事となって親睦を温めるのだが、 今回は大阪府枚方市出身者が幹事 となって、 9名が和歌山の高野山 に集まった。 新大阪で集合し、 南海鉄道で高野山まで行き、 宿坊 の一つ不動院に宿泊した。 精進料 理を食べ宿舎で歓談、旧交を温め たが、 区隊長は82歳には見えないし各人も若い。 さすがに当時の鍛錬のたまものと言いたいところだが 話の内容は、血糖値がどうの前立腺がどうのと そっち向きの話になってしまう。 翌朝、勤行があるというので 本式の密教の片鱗が見れると思っていたが 朝7時からで阿字観と言う瞑想はあったが 一般大衆向けで気落ちした。 もっと早朝の厳粛な勤行を予想していたのだ。 その後、奥の院の弘法大師御廟に向けて 石畳を歩いて行ったが 途中第2次世界大戦で亡くなった各部隊の供養塔を 拝しながら上っていった。 区隊会としては和やかで お互いをかばい合うような雰囲気があって楽しかった。 来年は東京と言うことである。 自衛隊ですらこんなだから旧軍の戦友となると絆は深いだろうな。

お花見

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  月曜日、社内の月例研修のあと で、 近くの白川にかかる、 みら い大橋の下の公園でお花見をし た。 行ってみると何台もの車が 止まっていて、 結構お花見の場 所として知られているようであ る。 公園内や白川の川沿いにも桜が植えてあって いずれも満開だった。 ブルーシートを広げて、 仕出しのお弁当とノンアルなどの飲み物で 1時間ほど楽しんだ。 小さな事務所だからだろうか、 こうやってみんなで集まると一人一人の物語があって 話がつきない。 熟年のスタッフが持ってきた折りたたみ椅子を借りて 座っていたので長時間でも足腰は痛まず楽だった。 敷いているブルーシートは 平成11年の台風で屋根を飛ばされたとき飛ばされた屋根の代わりに スタッフの一人が天井柱を伝って覆ってくれたものである。 従って25年たっても役に立っている。 突然、熟年スタッフが 「所長はいくつまで仕事をされますか?」 と直撃質問をしてきた。 なんせ当社は70歳以上が5人いるのである。 即「97歳まで」と宣言して、 しいのみ学園創始者の昇地三郎先生が 106歳まで現役だったことを話した。 南無の会の松原泰道先生が102歳のとき、 皆さんからのお陰を返すために 本を読み本を書き講演をするのだと言われて 103歳で亡くなるまで勉強を続けられたこと、 聖路加病院の日野原重明先生も105歳まで 診察されていた事を思えば、 まだまだ頑張るしかない。

確定申告

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 なんとか確定申告が終わった。 毎回資料提供が遅れる顧客様は 決まっている。 ギリギリで緊張 しながら申告書をチェックすることになる。 めったにないことだが今年は翌日から体 調を崩し 翌々日は喉に激痛が走 り寝込んでしまった。 幸いすぐ に回復し例年どおり反省会と打上会には参加できた。 近年AIが発達し、 電子申告やら電子申請やらで紙での提出が減らされてきた。 建設業の経営審査の申請のように電子申請に限られるものも出てきた。 当社でも私を含めベテランスタッフが戸惑うなか、 若いスタッフが生き生きと入力してくれる姿をみると 新しい時代の到来を感じる。 そんな新旧の世代が一堂に会しての打上会での会話は 見ていてとても心強く楽しい。 私は1次会で帰ったが、聞けば3次会まで行って、 深夜2時まで語り合ったようだ。 ベテランの知識と若い人の行動力が組み合わされて 新しいパワーが出来てくればありがたい。 仕事のためにもまた彼らの力になるために ももっと勉強しなければいけないと思っている。

ふしぎな体験

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  あれはたしか平成19年の1月のこ とだった。 大阪の小児科の奥村輝 美という医師が午前中は診察、 午 後は退行催眠という潜在意識を動 かして 過去世の自分を思い出すと いう催眠術をやっておられた。 長い背もたれのゆったりした椅子 に座らされて 「現世のあなたに一番関係の深い過去世に戻ります。 これから階段を降りていくイメージを持ってください」 実は事前に1ヶ月間、寝る時に、 送られたCDを聞くように言われていて 催眠術に入りやすいように訓練されていた。 階段を降りて床に降り立った時 「足下に何が見えますか」 と聞かれた。 皮で出来たサンダルをはいていた。 そういうと 「目線を上げてください。 服はなにを着ていますか」 「ズンドウの服を着ています」 「外に出てください。なにが見えますか?」 「ここは港町です。」 そこから始まって、 その過去世は15世紀のイタリアの港町で 自分は港の管理人であること、 今の娘の一人がこの時代の妻であり 他の娘たちもこの時代の子供であったこと、 一番楽しかったのが当時パブの女主人で 今の家内とおしゃべりすることだった。 ショックだったのは その人生の最後が 馬小屋の2階から縄で首をくくっての死亡で、 管理していた港の帳簿を 説明できなかったのを恥じての自殺だった。 「この人生からあなたは何を学びましたか?」 「自分を責めない。人も責めない、ということです。」 リアルでショッキングな体験だった。

なんのさなぎ?

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  毎朝、勤行と称して事務所の 周りの石仏にお参りしている が、 玄関の横の小さなお地蔵 様の榊に 4㎝ほどのさなぎが 付いているのに気がついた。 この榊はおゆるしを得て お隣の木 からフェンス越しに頂いているが 、 さなぎが付いているまま切り取 ったものと思われる。 おそらくお 正月様に切り取った榊についてい たようだ。 生きているかどうか分 らない。 なんのさなぎかも分らな い。 ネットで調べてみると「クロアゲハ」の さなぎに似ているようだが 果たして羽化して貰わないとわからない。 ここのところ温かくなったり寒くなったり 寒暖差が激しいが 無事に耐え抜いて元気に飛び立って欲しい。

タヌ子三周忌

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 今月の22日が二年前の2022年2月22 日、 皮肉なことにスーパーネコの日に 車にひかれて死んだ タヌ子の三周忌と なる。 満2年になる。 事務所の書棚の 上に写真をかけて チャオチュール3本 にお花を供えてある。 4年、事務所で 飼った。 亡くなった当日、 二階から見 ていた女性スタッフが 「道向こうの空 き地で遊んで 満足そうに道路を渡ろう としていたところを見たけど、 その後 キューブレーキの音がした。 はっとし て玄関に降りたら、すでに倒れていた。 」 とのことだった。 寒く真っ暗な冬の 朝でも室外機の上で待っていて 車の横にボテっと降りてきた。 危ないたいといいながら抱き上げて 一緒に事務所に入るのが日課だった。 昼間は日だまりの中、 ネコベッドを作ってやってそこで寝ていた。 今ははちおがその代わりをしてくれている。 もそっときて小声でニャニャっとないて、 来たよと知らせてくれる。 やっぱりネコは欠かせない。

熊本城マラソン

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  今年も熊本城マラソンがや ってきた。 今年もスマホの 応援ナビを教えてもらって 参加者の氏名を入力すると 今どこを走っているか、 直 ちにわかるアプリを利用す ることにした。 昨年より今 年のアプリは使い勝手が良 いような気がする。 さて例のごとくコース最南端の約20キロ地点、 本田橋から右折して200mばかりの道路横に陣取った。 車は近くのお墓の空き地に止めた。 これも例年通りである。 みんなの状況をスマホで見ると まだ予定時間にちょっと早いが 土手の上を見るとアスリートたちが かなりのスピードで走っている。 1時間半で20キロだから相当できる人たちの集団である。 実行委員をやっておられる顧問先様から預かった応援グッズと わが社スタッフからの要望のバナナや飲み物などを持って 土手に上った。 わが社からは3人エントリーしたが 1人は練習中の負傷で出場断念、 1人は大ベテランでお孫さんと出場したが お孫さんに追い付けず、 かなりの疲労状態で私の応援地点にやってきた。 カルピスを混ぜたホットミルクコーヒーをちょっと飲んでまた走り出す。 同じ年代なので頭が下がる。 若手のもう一人はとうとう見つけることができなかったが 結果は5時間38分32秒であった。 時間がたつにつれ歩いて来る人が多くなって 最後はパトカー2台に バスが数台のろのろやって来るのが見えたので引き上げた。 いつも参加される顧問先様の奥様も元気に声をかけられたが 残念ながら途中リタイアされたようだ。 また何人かの知り合いの方も声をかけて頂いたが 普段のスーツ姿と違うランニングスタイルなので どなたなのか瞬間見分けつかず失礼したかもしれない。 また来年も皆さん元気に走ってもらいたいし 私も元気で応援したい。