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包摂

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  斎藤幸平氏と志位和夫氏 の対談を読んでいて、 ふ と「包摂」という言葉が 頭に浮かんだ。 いつの間 にか一つの仕組みが社会 を包み込んでいき それがあたりまえになっていく。 私は長く会計の世界で生きてきた。 企業実体、期間損益、貨幣評価という会計の三大公準は、 数百年もの間いわば地球上の経済活動を測る基準となってきた。 共産国家といえども国家資本主義であり民間の資本を国家が管理する。 自由主義国家はもとより地球上が 資本の拡大原理のもと作られた貨幣価値によって社会がなりたっている。 私たちは会社は続くものと考え、財産も利益も貨幣で測る。 そして知らず知らずのうちに、売上、利益、給料、 資産という数字で豊かさを測る癖を身につけてきた。 しかし、人の幸せは数字だけで測れるわけはない。 競争に勝つこと、財産を増やすことだけが 豊かさではないことはわかりきっている。 病む人、弱い人、働けない人、考えの違う人がいる社会である。 資本経済を否定するほどの知識と度胸はない。 だが、その仕組みのなかに、人間の存在という物差しを置く必要がある。 対談を読み終えて、 「何のため仕事をするのか、何のために生きているのか、 良い社会とは何か」を久しぶりに考え込んだ。

キャラメルコーンが残った日

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  有明高校、ベスト4を賭けた タイブレーク10回裏、 健大 高崎の攻撃、1アウト2.3塁、 祈る気持ちがカキーンと砕か れ痛烈な2塁ゴロ、 矢のよう なホームへの送球、 「ギャーア!」が口をついて出た。 ビデオ判定待たずにセーフは明らか。 テレビの前で、私はキャラメルコーンを抱えて応援していた。 いつもなら試合が終わるころには 袋の底のピーナッツが見えるはずなのに、この日は違った。 工君は手首を骨折しながらも伝令として笑顔でみんなを励まし、 エース斎藤君は前試合から連投にもかかわらず 最後まで力を振り絞った。 苦しかっただろう。 それでも仲間のために、学校のために、 そして被災地から応援してくれる人たちのために、 素晴らしい試合を展開してくれた。 高校野球は不思議である。 勝った者だけが勇気をくれるわけではない。 負けた試合の中にも、人の胸を熱くするものが確かにある。 試合が終わって、手元を見るとキャラメルコーンがずいぶん残っていた。 食べることさえ忘れていた。 若者たちのひたむきさに、 後期高齢者の私まで「まだまだ燃えるぜ」と思わされた。 有明高校の夏は終わった。 しかし、もらった勇気は、まだ私の中に残っている 。 キャラメルコーンとともに。

とっさの判断

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七月二十八日、 長嶺の顧問先で税 務調査を受けていた。 午後四時半 ごろ、 いきなり机も床も大きく揺 れた。 私は反射的に机の陰へ身を 縮めた。 調査官もさすがに驚いた 顔をしたが、 揺れが収まると、 何事もなかったように調査は続いた。 なるほど泣く子も黙る税務調査である。 もっとも翌日は国税局の判断で調査中止の連絡が入った。 震源は熊本地方。 宇城市と氷川町で震度七を観測し、 またしても多くの命が奪われ、傷ついた。 事務所に帰ると、幸い大きな被害はない。 胸をなで下ろしたが、 翌日、イオンモールの女性従業員が亡くなったニュースを知った。 一度は外へ避難したのに、 売上金を金庫へ入れるため店内へ戻り、 爆発に巻き込まれたという。 もし私がその場の責任者だったら、 どう指示しただろう。 災害の最中、 人は冷静な判断ができるとは限らない。 だからこそ責任者の一言が要る。 「金庫はいい、全員離れろ」と。 命を守る指示は、迷ってはならない。 平時にこそ、その覚悟と手順を決めておかねばならない。

AI戦争

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  今朝の日経新聞を読んで、背筋が寒 くなった。 戦場ではAIが膨大な情 報を処理し、 わずか数秒で攻撃の戦 略を組み立てるという。 だが、速い ことと正しいことは別である。 イラ ンでは、何年も更新されない古い標的情報に 学校が反映されず、 百五十人を超す子どもたちが命を奪われたと報じられた。 古い記録では学校として扱われていなかった。 だから撃った。 そんな理屈が、教室で学ぶ命に通用するはずがない。 それともアメリカに歯向かうイランの全国民の老若男女は 一人残らず犯罪者で死刑は当然のことだと考えているのだろうか。 まさか。では、誰が責任を取るのか。 誤ったデータを入れた者か、AIを作った会社か、 攻撃を承認した軍人か、それとも大統領か。 賠償はどうなる。 戦争犯罪として裁かれないのか。 トランプ大統領から、 遺族への明確な謝罪すら聞こえてこない。 これほどの死を生んでも「大量殺人者」と呼ばれず、 作戦の成功だけが語られるのなら、 正義とはずいぶん都合のよい言葉である。 AIは刑務所に入れられない。 責任も感じない。 だからこそ、最後に決めた人間の責任を見逃がしてはならない。 人を救うために進歩したはずの科学が、 人を殺す速度を競い始めた。 この地球の科学は、どこか根本からおかしくなっている。

ライアンじいじ

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  また凝りだしたユーチューバー がいる。 ライアン鈴木。 背が高 く、ハンサムで、身ぶりまでダ ンディである。 世界中の街角で 女性に声をかけ、 流ちょうな英 語で話を聞く。 相手はたちまち笑顔になり、 ときには目までとろんとしてくる。 見ているうちに、困ったことが起きた。 こちらまでライアンになった気分になるのである。 英語など満足に話せないのに、 頭の中ではネイティブさながら、 堂々と世界の美女を相手にしている。 モニターを消せば、熊本のじいさんに戻るのだが、 その落差が少し切ない。 しかし、彼の本当の魅力は英語でも顔でもない。 誰に会ってもまず褒める。 否定せず、笑って受け止め、相手をいい気持ちにさせる。 なるほど、人はほんとのことを言う人より、 自分を認めてくれる人に心を開くのだ。 英会話は今からでは心もとないが、 人を褒めることなら今日からできる。 いっそのこと私は「ライアンじいじ」だと思い込もう。 上品な仕草、自信あふれる話し方、相手を見る眼差し、 そして、まず家内を褒めてみる。 どんな反応かだって?さりげなくやるのよ。 50年前にさかのぼって。 結構楽しかったのよ。あのころ。

Geminiの奇跡

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最近は、右を向いても左を向いても AIである。 先日、顧問先からスマホのアプリ「Gemini」を勧められ、 ものは試しと入れてみた。 我が家には、きじ猫のきびだんごと、 ぶち猫のおはぎがいる。 ところがこの二匹、どうにも折り合いが悪い。 そこで、ものはためし「なかよくして」と指示してみた。 すると、まあ見事な一枚が出来上がった。 現実の二匹は、顔を合わせれば距離を測り、しっぽで不満を語る仲である。 それが画面の中では、 まるで長年連れ添った夫婦のように寄り添っている。 AIというものは、 事実を写す鏡であるのはもとより、 人間の願いをしっかり先取りするモニターといってもおかしくない。 いつの日か本物のきびだんごとおはぎも、 この一枚のように理想の猫夫婦になってくれればよいのだが。 今日は七夕、短冊に書こうかな。

ワールドカップ

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  30日、小刻みに時計を見なが ら 予定の午前三時にきっかり 目が覚めた。 ぼやけた目をこ すってテレビをつけると、 ち ょうどハーフタイムである。 日本対ブラジル、得点は1対0。 日本が勝っている。 思わず家中の者を叩き起こそうかと思った。 これは夢ではないか。 相手はブラジルである。 後半、やはり押し込まれた。 攻めている時間より、守っている時間の方がはるかに長い 。 それでも日本の選手たちは、 欠場者を忘れるほど、歯を食いしばって耐えていた。 一点を返されても、なお望みはあった。 アディショナルタイムに入り、  ここをしのげばPK戦、5分と5分の勝負だ、 そう思った瞬間で ある。 勝負の神様は、まことに残酷な笛を吹く。 ザイオンの手をすり抜け、 ポールに当たってもネットを揺るがした。 放心、切なかった。残念だった。 けれども、日本は確かに世界の強豪と渡り合っていた。 負けた試合にも、胸を張れる負け方がある。 次は4年後か、という思いを振り切って、早めの出勤をした。