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AI戦争

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  今朝の日経新聞を読んで、背筋が寒 くなった。 戦場ではAIが膨大な情 報を処理し、 わずか数秒で攻撃の戦 略を組み立てるという。 だが、速い ことと正しいことは別である。 イラ ンでは、何年も更新されない古い標的情報に 学校が反映されず、 百五十人を超す子どもたちが命を奪われたと報じられた。 古い記録では学校として扱われていなかった。 だから撃った。 そんな理屈が、教室で学ぶ命に通用するはずがない。 それともアメリカに歯向かうイランの全国民の老若男女は 一人残らず犯罪者で死刑は当然のことだと考えているのだろうか。 まさか。では、誰が責任を取るのか。 誤ったデータを入れた者か、AIを作った会社か、 攻撃を承認した軍人か、それとも大統領か。 賠償はどうなる。 戦争犯罪として裁かれないのか。 トランプ大統領から、 遺族への明確な謝罪すら聞こえてこない。 これほどの死を生んでも「大量殺人者」と呼ばれず、 作戦の成功だけが語られるのなら、 正義とはずいぶん都合のよい言葉である。 AIは刑務所に入れられない。 責任も感じない。 だからこそ、最後に決めた人間の責任を見逃がしてはならない。 人を救うために進歩したはずの科学が、 人を殺す速度を競い始めた。 この地球の科学は、どこか根本からおかしくなっている。

ライアンじいじ

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  また凝りだしたユーチューバー がいる。 ライアン鈴木。 背が高 く、ハンサムで、身ぶりまでダ ンディである。 世界中の街角で 女性に声をかけ、 流ちょうな英 語で話を聞く。 相手はたちまち笑顔になり、 ときには目までとろんとしてくる。 見ているうちに、困ったことが起きた。 こちらまでライアンになった気分になるのである。 英語など満足に話せないのに、 頭の中ではネイティブさながら、 堂々と世界の美女を相手にしている。 モニターを消せば、熊本のじいさんに戻るのだが、 その落差が少し切ない。 しかし、彼の本当の魅力は英語でも顔でもない。 誰に会ってもまず褒める。 否定せず、笑って受け止め、相手をいい気持ちにさせる。 なるほど、人はほんとのことを言う人より、 自分を認めてくれる人に心を開くのだ。 英会話は今からでは心もとないが、 人を褒めることなら今日からできる。 いっそのこと私は「ライアンじいじ」だと思い込もう。 上品な仕草、自信あふれる話し方、相手を見る眼差し、 そして、まず家内を褒めてみる。 どんな反応かだって?さりげなくやるのよ。 50年前にさかのぼって。 結構楽しかったのよ。あのころ。

Geminiの奇跡

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最近は、右を向いても左を向いても AIである。 先日、顧問先からスマホのアプリ「Gemini」を勧められ、 ものは試しと入れてみた。 我が家には、きじ猫のきびだんごと、 ぶち猫のおはぎがいる。 ところがこの二匹、どうにも折り合いが悪い。 そこで、ものはためし「なかよくして」と指示してみた。 すると、まあ見事な一枚が出来上がった。 現実の二匹は、顔を合わせれば距離を測り、しっぽで不満を語る仲である。 それが画面の中では、 まるで長年連れ添った夫婦のように寄り添っている。 AIというものは、 事実を写す鏡であるのはもとより、 人間の願いをしっかり先取りするモニターといってもおかしくない。 いつの日か本物のきびだんごとおはぎも、 この一枚のように理想の猫夫婦になってくれればよいのだが。 今日は七夕、短冊に書こうかな。

ワールドカップ

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  30日、小刻みに時計を見なが ら 予定の午前三時にきっかり 目が覚めた。 ぼやけた目をこ すってテレビをつけると、 ち ょうどハーフタイムである。 日本対ブラジル、得点は1対0。 日本が勝っている。 思わず家中の者を叩き起こそうかと思った。 これは夢ではないか。 相手はブラジルである。 後半、やはり押し込まれた。 攻めている時間より、守っている時間の方がはるかに長い 。 それでも日本の選手たちは、 欠場者を忘れるほど、歯を食いしばって耐えていた。 一点を返されても、なお望みはあった。 アディショナルタイムに入り、  ここをしのげばPK戦、5分と5分の勝負だ、 そう思った瞬間で ある。 勝負の神様は、まことに残酷な笛を吹く。 ザイオンの手をすり抜け、 ポールに当たってもネットを揺るがした。 放心、切なかった。残念だった。 けれども、日本は確かに世界の強豪と渡り合っていた。 負けた試合にも、胸を張れる負け方がある。 次は4年後か、という思いを振り切って、早めの出勤をした。

動画キングダム

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 昼休みの短い時間が、 まるで異次元 の戦場へ通じる抜け道のように思え てくる。 コスモスの冷食をチンする 電子音が合図となり、 私は湯気の立 つパックを前に動画 『キングダム』 の世界へと身を沈める。 パソコン の向こうでは、 砂塵を巻き上げて武 将たちが駆け抜け、 剣戟の音が胸の 奥まで響く。 漫画と違って動画だからちゃんと音が響く。 みんなに聞こえないように イヤフォンを耳につけて、 激しい戦の只中に入っていく。 人間同士の闘志のぶつかり合いが息づいているのがたまらない。 やっぱ男は闘うことにロマンを観るのだろうか。 政が大王として立つ戴冠の儀。 その晴れの舞台を狙った反乱の狼煙が上がると、 物語は一気に緊迫の色を帯びる。 信の剣が唸り、昌平君の鋭い眼光が光る。 呂不韋の仕組んだ軍勢は大河のようにうねりながら秦の都咸陽に迫りくる。 戦術も用兵も、漫画でありながらかなり骨太で、 こちらの胸まで熱を帯びる。 気づけば冷食のハンバーグの味も忘れ、 壁時計の針が1時を指す。 だがマウスに指は届かない。 もう少し、この場面だけ―― そんな甘い誘惑に、今日もまた抗えない。 明日の昼休みもきっと、 私は信と政の行く末を追い続けてしまうのだろう。

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  歳を重ねると、夢にも年季が入るらし い。 若いころのように空を飛んだり、 敵陣に突入したりする景気のいい夢 はめっきり減った。 その代わり、何 度も繰り返し現れる妙な夢がある。 決まって私は合宿か研修のような場 所にいる。 大きな旅館でもないのに、廊下はやたら長く、 曲がり角も多い。 さて自分の部屋へ戻ろうとすると、 どこだったのか似たような部屋ばかりで思い出せない。 荷物はどこへ置いたのか。財布は。資料は。 探しているうちにますます分からなくなる。 なぜか散歩に外へ出てみる。 今度は泊まっていた旅館そのものが見つからない。 確かこの辺だったはずだ、と路地を曲がり、坂を下り、また戻る。 ところが同じ旅館ばかりで どの旅館だったかまったくわからない。 そうこうしているうちに、集合時間が迫る。 皆はもう整列しているかもしれない。 自分だけ遅れるのではないか。 胸がざわつき、足はもつれ、時計ばかり気になる。 そこでたいてい意識が遠くなる。 目を開ければ自宅の寝室で、 枕元には眼鏡も時計もちゃんとある。 ほっとする半面、なぜ同じ筋書きの夢ばかり見るのだろうと思う。 考えてみれば、人生そのものがそんなものかもしれない。 若いころは前だけ見て走っていたが、 この歳になると、自分はどこへ向かっているのか、 何を大事に抱えてきたのか、ときどき確かめたくなる。 夢の中の旅館は、ひょっとすると人生の宿なのだろうか。 もっとも、そんな哲学めいたことを考えても、 次の晩になればまた私は長い廊下を右往左往しながら、 「部屋はどこだったかな」と慌てているのである。 年齢を重ねても、人間というものは案外変わらない。 むしろその慌てぶりこそが、自分らしいのかもしれない。

どんぶり大王

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  先週の日曜日、山鹿の八千代座へ出かけ た。 熊本のおやじバンド「どんぶり大王」 の公演を 見に来ないかと、 いつもカラオ ケ大会を開いてくれるWさんから 声をか けられたのである。 三十一周年だという。 写真を見ると、派手なかつらに奇抜な衣 装、 まるで昭和の祭りがそのまま舞台に飛び出してきたようだ。 しかし演奏が始まると、 そんな見た目の可笑しさは吹き飛ぶ。 普段はそれぞれ仕事を持つ人たちが、 ひとたび集まれば立派なエンターテイナーになる。 大音量の演奏に歌声、踊り。 客席へ降りてきて握手をしながら歌うサービス精神におおいに盛り上がった。 八千代座は中高年の観客で満杯だった。 みな若い頃に戻ったような顔で手拍子を送り、笑い、声援を飛ばす。 歳を重ねると元気がなくなるなどというのは嘘だな、 と妙に感心した。 そしてその夜、次女と家内がテレビの前で盛り上がった。 部屋の灯りは消され、 映っているのは「嵐」の東京最終ライブ。 「これとおんなじ、私が見てきた福岡ライブ」 ペンライトを振りながら歓声を上げている。 昼は「どんぶり大王」、夜は「嵐」。 世代も舞台も違うが、人が夢中になる姿はよく似ている。 人生を楽しむ秘訣とは、 案外こういうところにあるのかもしれない。 もっとも私はというと、 昼の大音量で少々耳が疲れ、 ふたりの熱狂をあとに自分の部屋で ひとり風呂上りの麦茶をすすったのである。