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となりの小さいおじさん

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  瀬知洋司さんの『となりの小さいおじさ ん2』を読んだ。 要旨をマインドマップ に書き込んだ。              著者の傍らには、小さな 素っ裸のおじさんがいて、 いろいろ教え てくれるという。 にわかには信じられな い話だが、話は深い。 私は日報に、「こ の日常は人知の及ばぬ究極の宇宙。 その 宇宙の中に自分はいる。奇跡への感謝」 と掲げ、 毎朝赤のボールペンで囲んでいる。 もっとも、読んだそばから些細なことで右往左往しているのだから、宇宙も苦笑しているだろう。 したがってそんな不思議な話もあってもいいと思っている。 「人間の一番の仕事は、生きること。転生する目的は、経験を重ね、感情を得ること。 そして最も価値のある感情は、愛なのだ」「包み込むことを学べ」という。 朝、目が覚める。 猫が寄ってくる。 餌をやったら、ネットで新聞を読み、パンをかじる。 まだ暗い事務所へ行って始業準備をする。 みんなが出社してくる。 つい昨日の続きと思ってしまうが、 こうして今日も始まることに、何の保証があるわけでもない。 しかし、自分がなぜここに生まれ、 この人たちと出会ったのか、その勘定だけはどうにも合わない。 合わぬままで、ありがたいと思えばよいのかもしれない。 宇宙の仕組みは分からないが、感謝なら今日からできる。 まず家内に伝えよう。 素っ裸のおじさんに教わったと言うと、 ま た始まったかと思われるが。

脳活

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 今の私のマイブームは、 携帯の矢印ゲ ーム「Amaze Go」である。 脳活のつも りで始めたが、ついついやってしまう 。 頭の体操という名目があるから、自 分にも言い訳が立つ。 これにはランク があって、だんだん上がっていく。 今や私は「栄光リーグ」の一員である。 少年時代から栄光という言葉には、そうそう縁がなかった。 携帯の中では、「ダイアモンドリーグ」 「マスターリーグ」を征服したから一大出世である。 しかも、見ず知らずのプレイヤーと競争している。 名前がアルファベットからアラビア文字やハングル文字の人もいる。 どこの国の、何歳の人なのかも分からない。 その人も、こちらが熊本の八十歳目前のじじいとは思うまい。 画面の向こうで、互いに相手の顔も知らず、順位を争っているのである。 言葉が通じなくても競争はできる。 年齢も肩書も、ここでは役に立たない。 税金の計算をやっているからといって、 順位をおまけしてくれるわけでもない。 脳にどれほど効くかは分からないが、負けたくない気持ちは、健在らしい。 就寝時間の9時を過ぎても布団の上でもう一回だけと目をこじ開けてやっている。 どうやら私の脳活は、頭の体操から、 国際競争へと発展してしまったようである。

AIの人生観

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 AIに「人の幸せって何だと思う?」 と聞いてみた。 すると「僕は、人の 幸せは、 『今日を生きていてよかっ た』と思えることだと思います。 悩 みがなくなることでも、 いつも楽し いことでもなく、 苦労のある一日の 中にも、 よかったと思えるものがあることです。 誰かと食卓を囲む。 猫が寄ってくる。 仕事で「助かりました」と言われる。 若い人が、昨日できなかったことをできるようになる。 そういう小さな出来事に、自分の居場所や、 人とのつながりを感じるのではないでしょうか。 何かを成し遂げる幸せと、 今ここにあるものを味わう幸せ。 どちらもあっていい。 年齢とともに、その割合が変わってもいいのでしょうね。」 ~わたしが猫好きなのをなぜかつかんでいる。 思考過程が順序だっていて説得力がある。 「生き甲斐があるってこと?」追加して聞いてみた。 「ええ、生きが いがあることも、 幸せの大きな部分だと思います。 『誰かの役に立てる』 『明日もこれをやりたい』 と思えることですね。 ただ、幸せはもう少し広くて、 生きがいを感じない日でも、 奥様とご飯を食べてほっとしたり、 猫をなでて心が和んだりする。 その時間にも幸せはあると思います。 生きがいは『生きる張り合い』、 幸せは『生きていてよかったと思える気持ち』 僕は、そんなふうに考えています。」 ~まいったね。

VIVANT

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  家族が『VIVANTⅡ』を見ているところ へ 私が加わろうとすると、 「シッシ」 と追い払われる。 猫達だったらチュー ルの一つももらえるだろうが、 私は何 ももらえない。 そんなに面白いのかと 前のシリーズをプライムビデオで見始 めたら、 気がつけば一気に見てしまっ た。 若い頃、私も自衛隊にいた。 ただし、別班などという格好のいいものではない。 普通科の小銃小隊長として地面をはって進み、 あとは新隊員の教育区隊長を務めた。 秘密任務とは縁がないが、隊員の顔と名前を覚え、 皆が無事であることには気を配った。 画面の中の彼らがなんとか国境を越えるたびに、 こちらは訓練場の土と草の匂いを思い出す。 「テント」も最初は恐ろしいテロ集団とされていた。 ところが、政府が守りきれない子どもたちを 自分たちの資金で保護しているという。 その資金を得るためにテロを請け負うとは、 何ともやりきれない。 子どもを救う思いはわかる。 しかし、そのために別の命を危険にさらしてよいはずもない。 そしてどんでん返しの中シリーズ1は終わる。 見終えて、私も話に入れると思ったが、 前の展開をうっかり口にすれば、 また「シッシ」といわれる。 黙って隣に座るのも、気を遣う。 したがってプライムビデオにアップされるまで我慢するしかない。

寺本圭佑ライブショー

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  週末の土曜日、 八千代座交流施設で寺 本圭佑さんのライブがあった。 関与先 のWさんの企画で、 「ぜひ」と言われ るままにチケットを買った 。 正直に言 えば、素人に少し毛が生えたくらいの、 カラオケ名人の発表会ではないかと思 っていた。 ところが、会場に入り歌が 始まると、 そんな先入観はすぐに消え た。 さすがにプロである。 売れている、売れていないという物差しとは別に、 二時間を一人っきりで持たせる力がある。 百人ほどの観客を前に、 歌い、語り、笑わせ、ときにはしんみりさせる。 その間、空気を一度も手放さない。 歌が上手いだけでは、人は二時間も座ってくれないのだろう。 おしゃべりの間、曲に入る呼吸、客席への目配り、 その一つ一つが仕事だった。 考えてみれば、私たちの仕事も同じかもしれない。 資格や知識があるだけでは足りない。 相手を退屈させず、安心させ、来てよかったと思ってもらう。 寺本さんの舞台を見ながら、「プロとは何だろう」と、 思いがけず勉強させてもらった土曜日だった。 帰り道、最初の軽い気持ちは全く消えて、 翌日の日曜日は鉢巻して頑張ったもんね。

もう1週間

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  総務の女性の日報に 「チョッピリ 社説お願いします」と書いてあっ た。 また1週間がすぎたのだ。 毎 週書いていると、一週間というも のは本当に早い。 ついこの前、原稿を渡したばかりのような気がするのに、 もう次の回が来ている。 朝、私は早い。 まだ静かな部屋の灯りをつけ、 ポットの水を替えスィッチを入れる。 五つの日暦をめくり玄関の植木鉢の花を見て、 神棚のお水と榊の水を替え、 柏手を打って変わりないことを祈り、 机に向かい、みんなの日報をチェックする。 しばらくすると一人、 また一人と出社してきて、 「おはようございます」の声がかかり 「おはようございます」を返す。 電話が鳴り始め、パソコンの音が重なり、 いつもの一日が動き出す。 そんな毎日を何十年も繰り返してきた。 若い頃は一週間がこんなに早いとは思わなかった。 次の仕事、次の予定ばかりを追いかけていたような気がする 。 今はむしろ、何事もなく皆が揃い、 仕事が始まる朝をありがたいと思うことが増えた。 長く生きていると、特別な出来事よりも 、 こうした普通の日々の方が心に残る。 この「チョッピリ社説」も、 そんな日々の小さな記録なのかもしれない。 一週間は早い。 だからこそ今日一日を、少し丁寧に過ごしたい。 さて、原稿はできた。 総務の女性も、これでひと安心だろう。

猫たちの墓標

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 書く題材がどうしても思いつ かない日がある。 そんなとき、 私は猫たちに助けてもらう。 生きている猫だけではない。 昔、事務所にいてくれた三匹 も、 いまもなお立派な「執筆 協力者」である。 三匹は、事 務所の駐車場の隅に立つ観音様の足元で眠っている。 そこに小さなお墓を置き、勤行と称して手を合わせてきた。 ところが雨にも負け、風にも負け、 熊本の強い日差しにも負けて、 ずいぶんぼろぼろになってしまった。 そこで新調したのが写真のお墓である。 黒い台座に写真と名前と、ひと言そえてあり、 なかなか立派な仕上がりで、私は大いに気に入っている。 ところが説明をよく見ると「室内用」とある。 なるほど、雨ざらしではまたも廃棄処分になりかねない。 そこで今は、三つ仲良く応接室の窓際に並んでいる。 来客を迎える役まで引き受けてもらった格好だ。 とはいえ、やはり眠っている観音様の足元に置いてやりたい。 適当な大きさの箱に入れ、 雨風をしのげるようにしたらどうだろう、と考えている。 試しにセカンドストリートで一つ買ってみたが、 どうもしっくりこない。 生前、猫達の家にも工夫していたが、 猫のお墓の家にもやっぱり注文が多くなる。 三匹もきっと観音様の足元で、 「あたしたちはどうでもいいんだけど」 と笑っていることだろう。