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ライアンじいじ

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  また凝りだしたユーチューバー がいる。 ライアン鈴木。 背が高 く、ハンサムで、身ぶりまでダ ンディである。 世界中の街角で 女性に声をかけ、 流ちょうな英 語で話を聞く。 相手はたちまち笑顔になり、 ときには目までとろんとしてくる。 見ているうちに、困ったことが起きた。 こちらまでライアンになった気分になるのである。 英語など満足に話せないのに、 頭の中ではネイティブさながら、 堂々と世界の美女を相手にしている。 モニターを消せば、熊本のじいさんに戻るのだが、 その落差が少し切ない。 しかし、彼の本当の魅力は英語でも顔でもない。 誰に会ってもまず褒める。 否定せず、笑って受け止め、相手をいい気持ちにさせる。 なるほど、人はほんとのことを言う人より、 自分を認めてくれる人に心を開くのだ。 英会話は今からでは心もとないが、 人を褒めることなら今日からできる。 いっそのこと私は「ライアンじいじ」だと思い込もう。 上品な仕草、自信あふれる話し方、相手を見る眼差し、 そして、まず家内を褒めてみる。 どんな反応かだって?さりげなくやるのよ。 50年前にさかのぼって。 結構楽しかったのよ。あのころ。

Geminiの奇跡

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最近は、右を向いても左を向いても AIである。 先日、顧問先からスマホのアプリ「Gemini」を勧められ、 ものは試しと入れてみた。 我が家には、きじ猫のきびだんごと、 ぶち猫のおはぎがいる。 ところがこの二匹、どうにも折り合いが悪い。 そこで、ものはためし「なかよくして」と指示してみた。 すると、まあ見事な一枚が出来上がった。 現実の二匹は、顔を合わせれば距離を測り、しっぽで不満を語る仲である。 それが画面の中では、 まるで長年連れ添った夫婦のように寄り添っている。 AIというものは、 事実を写す鏡であるのはもとより、 人間の願いをしっかり先取りするモニターといってもおかしくない。 いつの日か本物のきびだんごとおはぎも、 この一枚のように理想の猫夫婦になってくれればよいのだが。 今日は七夕、短冊に書こうかな。

ワールドカップ

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  30日、小刻みに時計を見なが ら 予定の午前三時にきっかり 目が覚めた。 ぼやけた目をこ すってテレビをつけると、 ち ょうどハーフタイムである。 日本対ブラジル、得点は1対0。 日本が勝っている。 思わず家中の者を叩き起こそうかと思った。 これは夢ではないか。 相手はブラジルである。 後半、やはり押し込まれた。 攻めている時間より、守っている時間の方がはるかに長い 。 それでも日本の選手たちは、 欠場者を忘れるほど、歯を食いしばって耐えていた。 一点を返されても、なお望みはあった。 アディショナルタイムに入り、  ここをしのげばPK戦、5分と5分の勝負だ、 そう思った瞬間で ある。 勝負の神様は、まことに残酷な笛を吹く。 ザイオンの手をすり抜け、 ポールに当たってもネットを揺るがした。 放心、切なかった。残念だった。 けれども、日本は確かに世界の強豪と渡り合っていた。 負けた試合にも、胸を張れる負け方がある。 次は4年後か、という思いを振り切って、早めの出勤をした。

動画キングダム

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 昼休みの短い時間が、 まるで異次元 の戦場へ通じる抜け道のように思え てくる。 コスモスの冷食をチンする 電子音が合図となり、 私は湯気の立 つパックを前に動画 『キングダム』 の世界へと身を沈める。 パソコン の向こうでは、 砂塵を巻き上げて武 将たちが駆け抜け、 剣戟の音が胸の 奥まで響く。 漫画と違って動画だからちゃんと音が響く。 みんなに聞こえないように イヤフォンを耳につけて、 激しい戦の只中に入っていく。 人間同士の闘志のぶつかり合いが息づいているのがたまらない。 やっぱ男は闘うことにロマンを観るのだろうか。 政が大王として立つ戴冠の儀。 その晴れの舞台を狙った反乱の狼煙が上がると、 物語は一気に緊迫の色を帯びる。 信の剣が唸り、昌平君の鋭い眼光が光る。 呂不韋の仕組んだ軍勢は大河のようにうねりながら秦の都咸陽に迫りくる。 戦術も用兵も、漫画でありながらかなり骨太で、 こちらの胸まで熱を帯びる。 気づけば冷食のハンバーグの味も忘れ、 壁時計の針が1時を指す。 だがマウスに指は届かない。 もう少し、この場面だけ―― そんな甘い誘惑に、今日もまた抗えない。 明日の昼休みもきっと、 私は信と政の行く末を追い続けてしまうのだろう。

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  歳を重ねると、夢にも年季が入るらし い。 若いころのように空を飛んだり、 敵陣に突入したりする景気のいい夢 はめっきり減った。 その代わり、何 度も繰り返し現れる妙な夢がある。 決まって私は合宿か研修のような場 所にいる。 大きな旅館でもないのに、廊下はやたら長く、 曲がり角も多い。 さて自分の部屋へ戻ろうとすると、 どこだったのか似たような部屋ばかりで思い出せない。 荷物はどこへ置いたのか。財布は。資料は。 探しているうちにますます分からなくなる。 なぜか散歩に外へ出てみる。 今度は泊まっていた旅館そのものが見つからない。 確かこの辺だったはずだ、と路地を曲がり、坂を下り、また戻る。 ところが同じ旅館ばかりで どの旅館だったかまったくわからない。 そうこうしているうちに、集合時間が迫る。 皆はもう整列しているかもしれない。 自分だけ遅れるのではないか。 胸がざわつき、足はもつれ、時計ばかり気になる。 そこでたいてい意識が遠くなる。 目を開ければ自宅の寝室で、 枕元には眼鏡も時計もちゃんとある。 ほっとする半面、なぜ同じ筋書きの夢ばかり見るのだろうと思う。 考えてみれば、人生そのものがそんなものかもしれない。 若いころは前だけ見て走っていたが、 この歳になると、自分はどこへ向かっているのか、 何を大事に抱えてきたのか、ときどき確かめたくなる。 夢の中の旅館は、ひょっとすると人生の宿なのだろうか。 もっとも、そんな哲学めいたことを考えても、 次の晩になればまた私は長い廊下を右往左往しながら、 「部屋はどこだったかな」と慌てているのである。 年齢を重ねても、人間というものは案外変わらない。 むしろその慌てぶりこそが、自分らしいのかもしれない。

どんぶり大王

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  先週の日曜日、山鹿の八千代座へ出かけ た。 熊本のおやじバンド「どんぶり大王」 の公演を 見に来ないかと、 いつもカラオ ケ大会を開いてくれるWさんから 声をか けられたのである。 三十一周年だという。 写真を見ると、派手なかつらに奇抜な衣 装、 まるで昭和の祭りがそのまま舞台に飛び出してきたようだ。 しかし演奏が始まると、 そんな見た目の可笑しさは吹き飛ぶ。 普段はそれぞれ仕事を持つ人たちが、 ひとたび集まれば立派なエンターテイナーになる。 大音量の演奏に歌声、踊り。 客席へ降りてきて握手をしながら歌うサービス精神におおいに盛り上がった。 八千代座は中高年の観客で満杯だった。 みな若い頃に戻ったような顔で手拍子を送り、笑い、声援を飛ばす。 歳を重ねると元気がなくなるなどというのは嘘だな、 と妙に感心した。 そしてその夜、次女と家内がテレビの前で盛り上がった。 部屋の灯りは消され、 映っているのは「嵐」の東京最終ライブ。 「これとおんなじ、私が見てきた福岡ライブ」 ペンライトを振りながら歓声を上げている。 昼は「どんぶり大王」、夜は「嵐」。 世代も舞台も違うが、人が夢中になる姿はよく似ている。 人生を楽しむ秘訣とは、 案外こういうところにあるのかもしれない。 もっとも私はというと、 昼の大音量で少々耳が疲れ、 ふたりの熱狂をあとに自分の部屋で ひとり風呂上りの麦茶をすすったのである。

にゃんず

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  朝、まだ家の空気が夜の名残を抱 えているころ、 決まって私の寝室 のドアの向こうに、おはぎがいる。 こちらが気配を立てるのを、じっ と待っているのである。 ドアを開 けた瞬間、「にゃお」とひと言。 これは挨拶ではない。 明確な要求である。 「ごはんをくれ」。実に簡潔で、まことに正しい 。 そして彼は、こちらがまだ寝ぼけ眼であることなどお構いなしに、 さっさと階段を先に降りていく。 振 り返りもしない。 まるで忠実な家来を従えた殿様のような足取りである。 給仕係がついて来るのは当然、という顔をしている。 一方、きび――こちらは雌のきじ猫である――は少し違う。 愛想がないわけではないが、媚びることを知らぬ。 高いところから世の成り行きを眺めて、 「まあ、あなたたち、朝からご苦労さま」 とでも思っていそうな顔をしている。 人に寄りかかって生きているくせに、 その気配を微塵も見せぬのが猫という生きものの 不思議である。 写真の二匹は、実は逆転している。 上段に陣取るきびは、天下を取ったような顔をし、 下でふっくらと構えるおはぎは、 どこか人のいい家臣の風情を漂わせている。 たまにはこんな状況もあるものだ。 歳を重ねると、人間関係は少しずつ面倒になるが、 猫との関係はじつに明快だ。 腹が減れば鳴く。気が向けば寄ってくる。嫌なら去る。 それでいて、朝、ドアの前で待っていてくれる者がいるというのは、 なかなか悪くない人生である。