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久しぶりの熱発

先週の筍採りが今になってひびいてきたのか、 それとも駐車場にあったカラスの死骸を処理したのがいけなかったのか、 金曜日あたりから、のどが強烈に痛く微熱が続いた。 行きつけの女医の愛子先生は 「インフルエンザであったとしても、もうタミフルは効かないし抗生剤をだしときますので様子を見ましょうね」と、 もうひとつそっけない。 どちらかというと注射が好きで、あの痛さで病気が治るものと子供の時から信じているが、 診察は5分で終わり薬を貰って帰った。 帰ってすぐ薬を飲んで家内に「寝るけん!」と言って布団に潜り込んだ。 ~で、寝るは寝るは金曜日から日曜日まで暇さえあれば寝た。 ~で、三度の食事時になるとパッと目が覚めて下に降りていき、しっかりお腹を作って薬を飲んでまた寝た。 ~で、月曜日の今日、心配していた熱も下がり、出社し、二坪畑の手入れもすませ一連の業務開始準備も整えた。 元気な前期高齢者だもんね。

日常塾 互栄会

日曜日、互栄会があった。 元 NHK の鈴木健二さんが熊本県立劇場の館長であった平成元年に創立された研修会「日常塾」で、 10年間にわたっての40クラスのうちの1クラスである。 約 20 名のクラス「5 A 」をもじって互栄会と名付けた OB 会で、 もう 22 年続いている。 すでに日常塾本体は終わっており時折、幹事が集まるぐらいの活動になっているが、 私たち互栄会は年2回 10 名程度が集まり、旧交を温め合っている。 会報も連絡分を含めると 100 回を超える。 87 才から 62 才までほとんど退職者か主婦である。 今回は城南町の会員宅で筍採りを実施した。 お弁当を食べ、歓談した後「もう、みんなと会えたし、おしゃべりもしたし、このまま帰ってもいいや」と言いつつ、 いざ筍を採り始めたら掘るは掘るは持ちきれないほどの収穫であった。 一人暮らしの 78 才になる男性は「今日1日で半年分のおしゃべりをせんといかん」 と野田政権から北朝鮮の話までしゃべりっぱなしであった。 よかったよかった。元気でぽっくりいきたいな。

クラス会

高校3年の時の担任の T 先生をお呼びしてクラス会があった。 先生の方から幹事に要請があったらしい。 不思議なことにその幹事は他のクラスの生徒だったのだが、 いつの間にか彼が自他ともに認めるクラスの幹事となっている。 同様に他のクラスの生徒だった者が14人出席中4人参加していた。 なので毎回、冒頭で 「私はよそのクラスの生徒ではありますが縁あって当クラスの幹事をさせていただいております」 という挨拶から始まり、 よそのクラス出身者から近況報告がなされる。 T先生は 86 歳になられた。さすがに杖をつかれて、ちょっとした段差があると補助がないと危ない。 また、お耳も遠くなられて隣のものが耳元で皆の話を伝えないといけなかった。 思えば喜寿の時のクラス会では、母校の教室で専門であった日本史の授業を1時間ほどしていただいた。 そのときはしっかりした足取りであったし会話も直接できていた。 「元気に歳を取る」人生の大きなテーマである。 来年、米寿を祝おうと言うことになったが、先生のお元気な笑顔を・・・見たい。

説得

  人を説得することは難しい。 今日1日で2人のスタッフから相談を受けた。 状況は違うがクライアントや問い合わせ先の言葉をどう取り、どう対処するかというテーマである。 私が今、月1回指導を受けているカーネギートレーニングの U 先生はおそらく 「人を説得することは不可能だ」と言うと思う。 自分の考えをわかって貰って得するのはほとんどが相手ではなくて自分なのだ。 他人の利益のために相手が喜んで説得の言葉を受け入れるだろうか。 理論的に正しいからと言ってそのまま引き下がってくれるほど人間は単純でない。 相手の不合理に対する指摘が正しければ正しいほど相手は不快感を持つ。 そもそも理論的な主張や説明は 7 %しか相手の印象に残ってなく、 93 %は話す態度や身なりが影響されるというデータ ( メラビアンの法則 ) がある。 「私はあなたのお味方です」 という前提が終始変わらずあってこそ、話す言葉に意味が出てくる ・・・と U 先生はおっしゃるだろうな。