投稿

12月, 2022の投稿を表示しています

今年もありがとうございました。

イメージ
  今年は令和4年で2022年だよと確認しながら 1年を送ってきましたが、 いつの間にやら令和5年がそこまでやってきました。 弊社は明日28日が大掃除で午後からお正月休みとなります。 例年は打上げということで どこかでおいしいものを食べて解散するのですが 今年も昨年と同じのお弁当配賦で終わります。 仕事始めは1月6日午後からになります。 休み中はあれもやりたいこれもやらなくちゃと思いつつ 結局何もできず終わっていくのですが、 まあ気持ち新年の抱負ということで済ませています。 この小欄もネコだのイヌだの お眼ざわりの文章ばかりで恐縮のいたりでございましたが、 新年も引き続きネコだのイヌだのよろしくお付き合い下さいませ。 良いお年をお迎えください。

大輔なう

イメージ
  大輔は10月で16才になった。 小型犬の人間換算でいうとネ ットでは80才のようだ。 腰骨 だけでなく腎臓も悪く 週に二 回病院に点滴を受けに行って いる。 夜鳴きをするので家内はリビングで大輔と一緒に寝ている。 夜中に何度も起こすのでその度に庭に出て オシッコをさせる。 室内は板張りで腰が弱く足で踏ん張れずうまく歩けないので 大輔の行動範囲には小道のようにマットが敷かれている。 兄貴分のパグの「かしき」も、 やがて17才というときに亡くなった。 その時のショックで家内は1年ほどペットロスになった。 充分なケアをしてなかったのではないかと後 悔しているようであった。 大輔はドッグフードを食べてくれないときが多く、 あれやこれやと一喜一憂しながら食べさせている。 病院ではいつどうなってもおかしくない状態だと言われているので 不調法な私は抱っこは慎重にしないといけない。 といっても写メールのように 充分みんなの癒やしの対象になってくれている。

クリスマスマーケット

イメージ
  花畑広場でクリスマスマーケットが開かれているので 見に行かない?夕飯兼ねて、と娘から誘われたので、 若夫婦と私達老夫婦と4人で出かけた。 婿殿は途中で忘年会があるとのことで ビールを1杯だけ付き合って下通へ行った。 付き合ってといっても私は2.3日前、 ある呑み会に行って 生ビール1杯と日本酒おちょこ半分呑んで、 おいしいと思ったのは思ったのだが、 それもつかの間、 苦しくて苦しくてトイレに行って戻った途端、 救急車を呼んで欲しいと思ったくらいに気が遠くなった。 なので年末年始は ノンアルで通さないと大変なことになると思っている。 さて花畑広場も次第に暗くなってくると クリスマスのイルミネーションが輝きを増して、 若い頃だったらきっと うきうきしたにちがいない とカミさんを見たら静かにシュウマイを食べていた。 舞台から3人組の歌声が聞こえてきた。 始まる前の練習ではリズム感があってきっと楽しくなると思っていたら、 前振りの話もそれほどでもなく、 歌の歌詞も、浜線通ったけど~とか、 トン汁たべたいなあ~とか 地元色は豊かでもクリスマスの夜とはまったく結びつかなかった。 歌が終わってサクラマチクマモトで朝食用のクロワッサンを買って帰った。

ベスト8進出?

イメージ
午前1時に目が覚めた。 ちょう ど良い。 前半が終わり、後半が 始まる頃だ。 階下に降りて自室 のパソコンを開いたら、 なんと 1対0だ!すごい!起きて良か った! これがまず今朝6日の第一印象であった。 奇跡続きの日本代表がベスト8進出を賭けた歴史的一戦を 見ることができるかもと思ったら喉が渇いてきて、 ふるさと納税で獲得したミカンを食べたとたん 同点弾を食らった。 さすが前回準優勝のクロアチアだ。 解説者は「気落ちする必要はありません。 0対0に戻ったと思えば良いんです」といったが、 まったくの互角。 ついに延長戦となったが、 これも双方無得点、 ついにPK戦となった。 そして固唾を呑んでの、 まさかの展開。 1番手の南野がはじかれた。 2番手の三苫もみごとにしっぱい。 3番手の浅野は決めてくれたが、 4番手の吉田が止められた。 GKリバコビッチにしっかり読まれて、 3盾を食ったのだ。 そりゃあ悔しいだろうな。 4人の内3人が失敗したのだ。 いずれも強豪三カ国と戦って、 ここまでやってきて、 そして信じられない結果となった。 全精力を使い果たしての結果だったのだろう。 ご苦労様でした。 4年後をめざして頑張るしかない。 と言ってもすぐ来年から予選が始まる。

複式簿記の原点

イメージ
  「この帳合之法(ちょうあいのほう)の原書は 1871年アメリカ商業学校の先生・ブライアントと スクラットンの二人が書いた学校用 『ブックキーピング』という本である。 ブックキーピングとは帳合のことである」 という書き出しで始まる「帳合之法」は 福沢諭吉が明治6年(1873年)から 翌7年まで全4巻で発刊した おそらく日本で最初の簿記の教科書であろう。 「日本においては学者は必ず貧乏であり。 金持ちは必ず無学である。 この実学を学べば学者も金持ちとなり、 金持ちも学者となり、 世の経済活動が更に面目を改め、 国力が増進することとなろう。 訳者(福沢)が深く願うところである」 「今この『帳合の法』を翻訳したのは私が 人々に学問の道を進め、商業、工業に向かって 独立の志を起こさせようとすることが本意である」 会計に関わる者として 簿記を単なる作業技術としてではなく、 そこから導き出される 本質的な意味を感じ取っていかなければ 福沢諭吉の意を理解したとは言えない。