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5月, 2026の投稿を表示しています

にゃんず

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  朝、まだ家の空気が夜の名残を抱 えているころ、 決まって私の寝室 のドアの向こうに、おはぎがいる。 こちらが気配を立てるのを、じっ と待っているのである。 ドアを開 けた瞬間、「にゃお」とひと言。 これは挨拶ではない。 明確な要求である。 「ごはんをくれ」。実に簡潔で、まことに正しい 。 そして彼は、こちらがまだ寝ぼけ眼であることなどお構いなしに、 さっさと階段を先に降りていく。 振 り返りもしない。 まるで忠実な家来を従えた殿様のような足取りである。 給仕係がついて来るのは当然、という顔をしている。 一方、きび――こちらは雌のきじ猫である――は少し違う。 愛想がないわけではないが、媚びることを知らぬ。 高いところから世の成り行きを眺めて、 「まあ、あなたたち、朝からご苦労さま」 とでも思っていそうな顔をしている。 人に寄りかかって生きているくせに、 その気配を微塵も見せぬのが猫という生きものの 不思議である。 写真の二匹は、実は逆転している。 上段に陣取るきびは、天下を取ったような顔をし、 下でふっくらと構えるおはぎは、 どこか人のいい家臣の風情を漂わせている。 たまにはこんな状況もあるものだ。 歳を重ねると、人間関係は少しずつ面倒になるが、 猫との関係はじつに明快だ。 腹が減れば鳴く。気が向けば寄ってくる。嫌なら去る。 それでいて、朝、ドアの前で待っていてくれる者がいるというのは、 なかなか悪くない人生である。

インドネシアの若い人

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  先日、急な頼まれごとが舞い込んだ。 インドネシアから来た技能実習生に、 労働法の要点を話してほしいという。 こちらは税や会計の話ならまだしも、 労働法の教習など畑違いである。 「テキストを読めば大丈夫です。通訳もいますから」と、 いとも簡単に言われ、 それでも、年を取ると“まあ、何とかなる” が 口ぐせになるから、不安半分で引き受けた。 会場に入って驚いた。 五十人ほどの若者が、 号令一下、すっと立ち上がり、ぴたりと四十五度のお辞儀。 「よろしくお願いします」と声を揃えた。 その目の輝きたるや、 こちらの寝ぼけた心を一瞬で叩き起こすほどだった。 この若者たちは、遠い国から海を越え、家族のため、 自分の未来のため、日本へやって来たのだ。 そう思うと、ただテキストを読むだけでは 済まない気がしてきた。 余計なお世話とは思いながら、 「無駄遣いはしないで、お小遣い帳を付けるんだよ、辛抱してね」と口をついて出た。 いかにも昭和の小言である。 だが、彼らは実に真剣に聞いてくれた。 通訳を介してなお、熱はちゃんと伝わるものらしい。 教えに行ったつもりが、帰るときは、 こちらが背筋を伸ばしていた。 若い人のひたむきさというのは、不思議なものである。 栄養ドリンクより、よほど効く。

一年分の東京を歩く

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  毎年恒例の、 陸上自衛隊幹部候補生71期区隊のOB会が、 今年も市ヶ谷で開かれた。 全国に散った二十七名のうち、 区隊長を含め十一名が顔をそろえたのである。 「血圧がね」「膝がね」「薬が増えてね」と、 まるで内科の待合室のようである。 もっとも、それを笑って話せる者が集まっているのだから、 やはり皆、元気なのだ。翌朝は靖国神社へ。 何度訪れても、あの空気には自然と背筋が伸びる。 若い頃とは違う重みが胸に落ちてくる。 そこで皆と別れ、 Y氏と二人で千鳥ヶ淵戦没者墓苑まで歩いた。 十五分ほど。 勝手に壮麗なものを想像していたせいか、 実際は墓地というより記念碑という感じで簡素だった。 しかし、飾りのなさがかえって深い。 昭和天皇の御製の石碑が両脇にあった。 今回も前泊し、前日は小石川後楽園を歩き、 夜は創価学会のT氏と会食。 十日の午前には上野の国立博物館へも足を延ばした。 気づけば、この二、三日で一年分くらい歩いた気がする。 それにしても最後の衝撃は熊本空港だった。 二日半で駐車料金五千四百円。 靖国の静謐より、 こちらのほうがよほど現実的な痛みとして胸に残った。