包摂
斎藤幸平氏と志位和夫氏の対談を読んでいて、
ふと「包摂」という言葉が頭に浮かんだ。
いつの間にか一つの仕組みが社会を包み込んでいき
それがあたりまえになっていく。
私は長く会計の世界で生きてきた。
企業実体、期間損益、貨幣評価という会計の三大公準は、
数百年もの間いわば地球上の経済活動を測る基準となってきた。
共産国家といえども国家資本主義であり民間の資本を国家が管理する。
自由主義国家はもとより地球上が
資本の拡大原理のもと作られた貨幣価値によって社会がなりたっている。
私たちは会社は続くものと考え、財産も利益も貨幣で測る。
そして知らず知らずのうちに、売上、利益、給料、
資産という数字で豊かさを測る癖を身につけてきた。
しかし、人の幸せは数字だけで測れるわけはない。
競争に勝つこと、財産を増やすことだけが
豊かさではないことはわかりきっている。
病む人、弱い人、働けない人、考えの違う人がいる社会である。
資本経済を否定するほどの知識と度胸はない。
だが、その仕組みのなかに、人間の存在という物差しを置く必要がある。
対談を読み終えて、
「何のため仕事をするのか、何のために生きているのか、
良い社会とは何か」を久しぶりに考え込んだ。

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