ヤクルト優勝

 




プロ野球の中継が少なくなって久しいが、




かつては月曜日を除いて毎日実況中継をやっていた。




テレビ局が少なかった時代は




見たいドラマが見れなくてガッカリした記憶がある。




なので毎日見たいというファンではなかった。




それでも1978年昭和53年に




それまで万年Bクラスのヤクルトが優勝した時、




いつの間にか松岡弘とか安田猛とか投手の名前を覚えたし、




玄米食を強制した広岡達朗監督の




選手コントロールの厳しさを知った。




また広岡監督が唱えているという朝の誦句




「今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず・・・」




を私も毎朝唱えている。




1992年平成4年、




野村克也監督で優勝したときID野球という言葉が流行した。




西部から移った渡辺久信投手が




カルチャーショックを受けたという




ミーティングでの長い講義は




野村監督がホワイトボードに板書しての




理論教育だったそうだ。




そしてその野村監督の影響を受けている高津臣吾監督は




「絶対大丈夫」という合言葉をチームの原動力として




Bクラスをとうとう日本一にしてしまった。






節目ごとに「いつも通りで」とナインに説く、




その優しさは、




おそらく日本、米国、韓国、台湾と4ヶ国の




修羅場をくぐってきた経験から培われたものであろう。





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